2014年12月15日月曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(3)  問題意識の連鎖反応1

今回も前回の続きです。

デモを実施する場所という視点で考えた場合、私が参加した一連のデモは、開催場所がいつも同じような場所だったため、1つの開催パターンとして警察当局に認識され、集団を縦列にして分散させるという方法でうまくコントロールされていたように思いました。要するに、デモというソーシャルアクションの方法は、構造が単純であり、単純であるがゆえに誰でも参加しやすく、参加者にとっては手軽なのですが、警察当局や政権側からすると非常に御しやすいということだと思います。

ただ、そうは言っても、これらのデモはテレビのニュースで放映され、新聞でも記事になり、インターネットの動画でも配信され、政治問題、社会問題を社会全体に訴えることはできていたと思います。このデモの盛り上がりが時間的に継続して徐々に熱を帯び、問題意識が国民の間で連鎖反応を引き起こすことができれば、デモは十分に効果を発揮したということになっていたでしょう。


また、デモをすることによって時の政権の政治的決定を少しでも覆すことができれば、デモに参加した多くの人が、デモに行った甲斐があったと思うでしょうし、次のデモに参加しようというインセンティブも増大するはずです。


しかし、ここ最近の政治状況で、デモが問題として掲げていた政治的決定が全く変わらなかったという結果が出てしまいました。デモに参加した人達は、デモという方法の限界を感じ、もうデモに行っても仕方がないと思っている人も多いのではないかという気がしています。


デモをソーシャルアクションとして成功させるには、デモの盛り上がりを時間的に継続し、国民の間で問題意識の連鎖反応が起きるようにしていく戦術が必要だったのだと思います。政治問題や社会問題について、多くの人が注目し、これは問題であると強く意識する期間というのは限られています。ある時期を超えると、多くの人はその熱が冷めてしまうものです。厳しい言い方になりますが、私が参加した一連のデモは、問題意識の連鎖反応を起こすことができなかったということだと思います。

2014年12月11日木曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(2)  デモの形態

前回に引き続き、なぜデモが影響力を持てないのかについて書かせていただきます。

私が参加したデモの実施方法について、僭越ながら参加者としての批評を書いてみたいと思います。

まず、デモが行われた日時についてですが、実施される曜日は、金曜日であることが多く、時間は夕方17:00くらいから始まり、21:00くらいに終了していました。平日に仕事を持っている人が仕事を終えて参加するためにも、この日時の選択は有効であると思います。参加者をできる限り多く集めないといけないデモで、この日時の選択を間違えることは致命的です。

場所については、私が参加した原発再稼働反対デモ、特定秘密保護法反対デモ、集団的自衛権行使の閣議決定反対デモの3つは、国会議事堂前や首相官邸前で行われていました。私は、この場所の選択が果たして妥当なのかということをいつも感じました。


国会議事堂前や首相官邸前の周囲は大通りが多く、いつ行っても、デモ参加者が大通り沿いの狭い歩道に沿って4列くらいの縦列に並ばされ、場合によっては2キロメートル以上の長い列になっていました。多くの警察官がデモの長い列を監視し、誘導していて、歩道の脇には大型の護送車が何台も駐車されていました。この護送車は、デモ参加者への威嚇の意味合いがあるように見えました。

デモが行われた場所は公道であり、警察が車や歩行者を通らせるためにそのようにしているということはよくわかります。ただ、それはあくまで建前であり、デモ参加者を細く長い縦列に並ばせる本当の目的は、参加者を物理的になるべく分散して配置し、参加者が集団としての一体感を感じられないようにするためなのではないかと感じました。警察は巧妙にデモをコントロールしているのだと思います。そして主催者と参加者は、その巧妙さにうまく乗せられてしまっていると思いました。


この縦列形態に並ぶということは、デモ参加者の心理に大きな影響を与えているように思います。縦列に並んでいるため、デモに参加した人同士が顔を合わせられず、自然発生的なコミュニケーションがなかなか生まれないのです。


これがもし、広場のような場所に大勢の人が集まったのであれば、デモ参加者同士が顔を合わせることができ、自然に相互のコミュニケーションが生まれます。コミュニケーションがカタルシスを生じさせ、参加者同士が「自分は1人ではない」という一体感を感じるのです。この一体感を感じることができると、多くの人は、デモに参加してよかったと思えるのではないかと思います。そして、その一体感が次のデモにも参加しようという気持ちを起こさせるのです。私の場合、年越し派遣村では、参加者が一緒に炊き出しや物資運搬を手伝うことで一体感を感じることができました。


一方で、この一体感が過度に高揚した時、暴動のような状態に発展する可能性もあります。警察は交通整理と同時に、デモのエネルギーを削ぐために大量に動員され、デモ参加者を巧みに分断しているわけです。私は、一連のデモに参加するたびに、「分断して統治せよ。」というどこかで聞いた言葉を思い出してしまうようになり、このデモのやり方にどこか限界を感じるようになっていきました。

もちろん、これらのデモは、数千人規模の人が集まったことにより、一定の政治的影響力を行使できたことは間違いありません。ただ、デモを実施する場所という視点で考える時、私が参加した3つのデモは、警察が用意した縦列形態のデモという形式の中にお行儀よく納まってしまっていたという印象が拭えませんでした。この形式によって、デモ参加者の中に、デモという方法の限界とその後の発展性のなさを感じてしまった人が結構いたのではないかとも思いました。  

2014年11月23日日曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(1)  デモの限界

今回からは、年越し派遣村の後、2011年の福島原発事故が起こって以降、都市部で行われるようになった政治問題や社会問題に関するデモについて、もう少し書いてみたいと思います。

私は、この連載の始まりで皆さんに、ソーシャルアクションの方法として、デモへの参加を勧める記事を書き、デモは手軽なソーシャルアクションであるということも書かせていただきました。ところが今、これまでに開催されたデモが何の役にも立たなかったのではないかと思うような政治状況が生まれてきています。そのため、なぜデモが影響力を持てないのかという問いについて、少し考えてみたいと思います。考える材料は、私が実際に参加したデモです。

私は、年越し派遣村の後、20127月の大飯原発再稼働反対デモ、201312月の特定秘密保護法案反対デモ、20146月の集団的自衛権行使の閣議決定反対デモと3つのデモに参加したことがあります。2012年の大飯原発再稼働反対デモについては、毎週金曜日に4週続けて参加しましたが、デモという方法の限界も感じました。

これらのデモに参加しての正直な印象ですが、毎回、デモはある程度盛り上がり、政治問題や社会問題の存在を浮かびあがらせることができていたと思います、ただ、デモの盛り上がりがいかんせん一時的であり、その後の政府の政策決定過程にほとんど影響力を持てていないように思います。例えば、原子力発電所の再稼働はほぼ決定というような状態ですし、特定秘密保護法も、12月には法律として施行される予定です。

デモというソーシャルアクションの形態は、決して万能ではありません。その政治的影響力は、あくまで限定的です。デモという方法の長所は、政治問題や社会問題に関係する場所に多くの人が集まることで、政治問題や社会問題の存在を、政治家を含めた多くの国民に対して大々的に告知できるという部分です。そのため、集まる人の数が少なければ、全くと言っていいほど効果はありません。人が数千人の単位で集まることで、初めてそれなりの影響力を持ちます。

また、デモが行われたということがマスコミ報道やインターネット等で情報発信され、多くの国民の目や耳に入らなければ、問題意識の連鎖反応が起きず、デモがその時だけの打ち上げ花火で終わってしまいます。デモが行われているという情報は、あらゆる情報媒体を使って社会全体に発信されなければ、デモの効果は著しく減少します。


次回からは、上記のことを踏まえ、私が参加したデモについて、もう少し詳しく考えてみたいと思います。   

2014年11月6日木曜日

ソーシャルアクションの方法  年越し派遣村モデルを超えて

私はこれまでの記事で、年越し派遣村の開設状況を分析し、その成功の要素として、「1.マスコミを味方につける」、「2.ソーシャルアクションの場所の選定」、「3.政治家を含めて多くの人と協働する」、「4.主催者が野生を持ち続けている」という4つを取り出してみました。この4つの要素について考えていくと、年越し派遣村がいかに洗練されたソーシャルアクションだったかということがわかります。そして、湯浅誠氏という特別なキャラクターの存在により、ここまでの影響力を持ったと言えるでしょう。

私達にとって年越し派遣村の意義は、ソーシャルアクションとして大きな成功モデルを提示してくれたことにあると思います。しかし、これだけの成功モデルがあるにも関わらず、その後、日本でソーシャルアクションの動きが活発になることはありませんでした。そして、年越し派遣村も、湯浅氏の内閣参与就任後は影響力を失ってしまいました。

さて、ここで前回の記事で書いた「野生」についてもう少し書かせていただきます。私は、湯浅氏が年越し派遣村村長をされていた当時、眼の奥にまさに「野生」が宿っている人だと感じ、一般国民の立場から政治に意見をしていけるカリスマが現われたと思いました。ぜひ湯浅氏に、今後も年越し派遣村のようなソーシャルアクションを起こして活動して欲しいと心から思いました。そして、湯浅氏のおかげで、私自身がソーシャルアクションの可能性を発見することができました。

ただ、湯浅氏の大ファンとして、大変僭越ながら申し上げたいのですが、今の湯浅氏は、年越し派遣村村長をされていた当時の「野生」が消えてしまったのではないかという感じがどうしてもしてしまうのです。ある時、私が敬愛する平川克美氏の著書の中に、湯浅氏とは全く関係ない文章でしたが、次のような記述を見つけました。


「なぜなら、いちばん大切なものである野生と富はトレードオフの関係にあるからです。このことをわたしたちは、本当は知っているはずなのです。通俗的なたとえをするならば、富を手にしたボクサーは、もう以前のように野性をむき出しにして闘うことはできなくなる。野性をむき出しにする必然性が失われているからです。」(1


私達は、社会的地位を確立し、ある一定の富を手に入れてしまうと、「野生」を失ってしまう。生涯を通じて「野性」を持ち続けることは難しいのだなと本当に複雑な思いがしました。

こうして考えていくと、これからのソーシャルアクションは、必ずしも年越し派遣村のモデルを真似する必要はないのかもしれません。カリスマという存在に頼っていてはいけないのです。

もともと、社会福祉は、当事者、専門職、一般市民が地域で地道な実践を続け、その実践を行政に訴えていくという、ソーシャルアクション的な活動があったからこそ、ここまで発展してきました。過去の歴史をたどれば、私達の先達が、私達に託そうとしたソーシャルアクション的活動を色々と見つけることができるはずです。私達は、まずそれらの活動を知るところからスタートする必要があると思います。


≪引用文献≫
1)平川克美『小商いのすすめ』ミシマ社、2012年、p.104105

2014年11月1日土曜日

ソーシャルアクションの方法  年越し派遣村に学ぶ(4)  野生について

年越し派遣村を成功させた重要な要素の4つ目ですが、主催者達が、年齢を重ねながらも「野性」を持ち続けた人達だったということがあると思います。
日比谷公園4
 


「野生?何のことですか?」と言われそうですね。「野生」という言葉は、あまり一般的には使われないので、私なりに「野性」を定義してみます。「自分を飾らず自然体で、世俗的な価値観に従属せず、自分が所属する共同体のために、自分の全てのエネルギーを注いでいこうとする強い気持ち」と言えるかなと思います。自分が有名になりたいとか、出世したいというような「野心」とはまた違うものです。年越し派遣村の主催者達は、心の内に、この「野性」を持っていたように思います。そして、この「野生」は、色々な人の協力を得てソーシャルアクションを起こす際、主催者側にどうしても必要なことなのではないかと思うのです。


私が派遣村主催者達の「野生」を感じたのは、当時の湯浅誠氏を初め、主催者達の一連の言動や、立ち振る舞いからでした。湯浅氏のことは、テレビで見た他に、年越し派遣村の中で何度か見かけました。日比谷公園の狭い道ですれ違うこともありました。湯浅氏が多くの人の前で演説をしたり、携帯電話で厚生労働省の関係者と必死で交渉しているのを見るたびに、その眼の奥に、何かが宿っているというような印象を受けました。そして、それが多くの人を惹きつけているのではないかと思いました。

湯浅氏の言葉で最も印象的だったのが、「私は怒っています。」という台詞です。この台詞は、湯浅氏がテレビで1人演説する時、最初によく使っていました。湯浅氏はこの時、本当に怒っていたと思います。貧困や派遣切りという社会の理不尽に対して怒っていました。そして、私達に対しても、もっと怒るべきであると言っているように思えました。

湯浅氏の発する怒りのエネルギーは、多くの人達に影響を与えたと思います。私も湯浅氏の怒りのエネルギーに大きく影響されました。影響されたと言うより、魅了されたと言っていいかもしれません。その怒りは、湯浅氏の持っている「野生」から出ている純粋な怒りであり、利己的な動機から出ているものとは思えませんでした。それは人を惹きつけ、鼓舞し、説得するような何かでした。私はそれまで、このような物言いをする人に出会ったことがありませんでした。「自分のためではなく、他の誰かのために、あなたも怒って下さい。」と湯浅氏が私達に言っているような気がしました。


私は当時、ボランティアもあまりやったことがなく、デモにも参加したことはありませんでしたが、湯浅氏の演説や対話を何回か聞くうちに、「これは他人事ではない。私も派遣村に行かなければならない。」という衝動を自分の中に感じるようになったのです。


≪参考文献≫
平川克美『小商いのすすめ』ミシマ社、2012
 

2014年10月21日火曜日

ソーシャルアクションの方法  年越し派遣村に学ぶ(3)  協働する

年越し派遣村を成功させた重要な要素の3つ目ですが、多くの人が協働していたということがあると思います。

「年越し派遣村実行委員会」を組織し、協働していたのは、湯浅誠氏が事務局長を務めていた「NPO法人自立生活サポートセンター・もやい」、宇都宮健児氏をはじめとした法律家や、「全国コミュニティ・ユニオン連合会」といった労働組合の人達です。大きな仕事を協働して成功させるには、多少の主義主張の違いはあっても、それぞれの団体が感じている問題意識を重ね合わせて共通の目標を見出し、その目標に沿って協力していくことが求められます。派遣村は、その目標が主催者の間で常に共有されていたという印象を受けました。
日比谷公園3

派遣村の影響力の大きさに反応したのか、当時野党だった民主党の管直人氏、日本共産党の志位和夫氏、社会民主党の福島瑞穂氏、新党大地の鈴木宗男氏等の政治家が視察に駆けつけて応援スピーチをし、テレビでも中継されました。与党だった自由民主党からも政治家が視察に向かい、どの政党も貧困や派遣切りという社会問題の存在を認め、何らかの対策をとることを約束しました。政治家を派遣村に絡ませるということは、派遣村実行委員会が最初から計画していたことであったろうと推察されます。

 私は、ボランティアとして、避難所利用者のテントをたたむ手伝いをした後、日本全国から届いた炊き出し用の米や野菜を運搬するのを手伝いましたが、○○県共産党というラベルが貼ってある物資が多く、日本共産党が組織的に派遣村に協力してくれているということがよくわかりました。

当時の私は、派遣村の中に政治色が強く出過ぎていると思ったりもしましたが、今では、このくらい数多くの人と団体が協働し、政治家を動かすくらいでなければ、ソーシャルアクションとして大きな影響力を行使することはできないのではないかと思っています。

年越し派遣村は、12/31から1/5まで6日間継続されました。1/5は、午後にデモ行進が行われ、労働組合の旗を掲げた各団体、ボランティア、派遣村の利用者が長い行列を作って霞が関の官庁街を練り歩きました。私はこの時、デモ行進というものに初めて参加したのですが、長年ホームレス生活を続けてきたと思しき男性、白人の外国人男性、翌日が仕事始めのサラリーマンの中年男性、大学生の若い女性、子育てを終えた熟年女性まで、多種多様な人達が集まっていて、活気にあふれていました。集まった人達が多様であったにもかかわらず、その雰囲気はとても平和的であり、誰かが争っている場面を見ることはありませんでした。


≪参考URL
Wikipedia「年越し派遣村」<http://ja.wikipedia.org/wiki/>(アクセス日:2014/10/19
 

2014年10月17日金曜日

ソーシャルアクションの方法  年越し派遣村に学ぶ(2)  場所の選定

年越し派遣村を成功させた重要な要素の2つ目ですが、場所の選定が的確だったということがあると思います。

年越し派遣村が開設されたのは、東京都千代田区の日比谷公園です。地図を見れば一目でわかるのですが、日比谷公園のある場所の周囲には、北に皇居、東に東京駅、西に国会議事堂と霞が関の官庁街があります。東京のど真ん中にある、緑の多い大きな公園です。そして、日比谷公園の正面入り口は、厚生労働省の建物とほぼ対面しています。日比谷公園の正面入り口から出て、前の道路を渡れば、すぐに厚生労働省の玄関があるのです。
日比谷公園2

私は、年越し派遣村をテレビや特設ホームページで知った時、「この活動は、ホームレスの人達や派遣切りにあった人達の純粋な避難場所であり、住居を失った人達が、公園でテント生活と炊き出しをしながら年末年始を過ごすだけなのかな。」というくらいの認識でいました。私も200915日の1日だけですが、少しでもお手伝いしたいと思い立ち、ボランティアとして参加しました。前日に、道路地図で日比谷公園の場所を確認したのですが、日比谷公園の地図上の位置を自分の目で確認した時、「年越し派遣村を主催している人達は、厚生労働省と正面切って戦をするつもりなのか。」と驚き、年越し派遣村に対する認識が大きく変わったことを覚えています。年越し派遣村は、住居を失った人達の避難所でありながら、そのエネルギーのベクトルは、対面している厚生労働省に向かっていました。


湯浅氏を初めとした年越し派遣村の主催者は、厚生労働省との直接対決のために日比谷公園という場所を選んだのだと思います。この場所の選び方は、まさに戦における「布陣」と言ってもいいのではないでしょうか。厚生労働省との交渉という戦を有利に進めるため、陣地の選定をしたのです。


湯浅氏達は、住居を失った人達が日比谷公園でテント生活をしたり炊き出しができるように手配しつつ、その一方で、厚生労働省や政治家と色々な交渉を進めていたようです。私も、日比谷公園内のテントで寝起きしていた湯浅氏が、寝癖のついた髪を直す暇もなく、厚生労働省の関係者らしき人と携帯電話で真剣に話している姿を何回も見かけました。


湯浅氏達の交渉の結果、厚生労働省は派遣村の期間中、その建物の一部の場所を解放し、テントを張れるよう手配しました。また、厚生労働省と東京都は、派遣村終了後も住居が見つからない人達のために、数週間生活ができるような臨時の住居と食事を準備することを決定したのです。


≪参考URL
Wikipedia「年越し派遣村」<http://ja.wikipedia.org/wiki/>(アクセス日:2014/10/12

2014年10月5日日曜日

ソーシャルアクションの方法  年越し派遣村に学ぶ(1)  マスコミを味方に

今回からは、年越し派遣村の開設状況を分析し、ソーシャルアクションを成功させるための具体的要素を取り出してみたいと思います。
日比谷公園1

年越し派遣村が成功した重要な要素の1つですが、マスコミを味方につけていたということがあると思います。

マスコミを味方につけることは、ソーシャルアクションを実行する上でものすごく大切なことです。前回も書きましたが、湯浅氏をはじめとした年越し派遣村に関わった人達は、日本の多くの人達に、「今、日本に貧困や派遣切りという大きな社会問題が存在する」ということと、「貧困は自己責任ではなく、社会の問題である」ということを伝えることに成功していました。それができたのは、湯浅氏達が広報戦略の重要性を認識し、マスコミを味方につけていたからです。

湯浅氏達は、テレビの討論番組で、貧困自己責任論を主張する財界の著名人を片端から論破していました。貧困や派遣切りという社会問題について、テレビで公開討論をするということも、マスコミの協力なしではできません。

現代は、インターネットで誰もが個人として情報発信できる時代ですが、ある情報を日本全国の人に知ってもらいたい時、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌というマスコミの影響力は、まだまだ絶大だと思います。特に年代が上にいくにつれて、インターネットを使わない人が増えていきます。そういった人達が頼りにしている情報媒体は、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌なのです。社会問題を多くの人に知ってもらうということを考えると、最初にマスコミに知ってもらい、味方になってもらうことは本当に大切なことです。

湯浅氏のテレビでの公開討論を見て、私は、庶民にとってのカリスマが日本にようやく現われてくれたかという思いがしました。湯浅氏は、資本家や企業の側でなく、一般国民の側に立った意見を常に主張してくれていました。多くの人が、この人なら閉塞感のある今の日本社会を変えてくれそうだと感じたのではないかと思います。マスコミを通じて、湯浅氏は、徐々に世直しのヒーローとして認知されるようになっていきました。


≪参考文献≫
湯浅誠『反貧困』岩波新書、2008

2014年9月21日日曜日

ソーシャルアクションの方法  デモを成功させるために(2)

私は、年越し派遣村が開設されたことをテレビで知り、これは本当にすごいことをやっているなと思いました。何がすごかったのでしょうか。一言で言うと、社会に対しての影響力、インパクトが強烈だったということだと思います。

まず、テレビや新聞を始め、マスコミが年越し派遣村を大々的に取り上げ、応援してくれました。派遣村主催者の方達も、マスコミへの広報戦略の必要性を重視し、とにかくマスコミを使って自分達のやっていることを知ってもらおうとしていたと思います。多くの人達に、「今、日本に貧困や派遣切りという大きな社会問題が存在する」ということと、「貧困は自己責任ではなく、社会の問題である」ということを伝えることに成功していました。

年越し派遣村主催者の中心人物だった方が湯浅誠氏です。今は超有名人ですから、メルマガ読者の皆さんもご存じかと思います。湯浅氏は、「貧困は自己責任である」という論理を広めようとしている財界著名人に対する反対の論陣を張っていました。20084月に、岩波新書から『反貧困』という新書を著し、テレビでは、貧困自己責任論を支持している人達に論戦を挑み、その論戦は、テレビで中継されていました。

私は、「日本にも、こんなカリスマのような人が現われたのか。湯浅氏に、ぜひ日本の救世主になってほしい。これは自分も応援しに行くしかない。この人はソーシャルワーカーではないみたいだ。あれ、ソーシャルワーカーの団体は、年越し派遣村を応援しているのだろうか?」などと考えながら、食い入るようにテレビを見ていたことを覚えています。

≪参考文献≫
湯浅誠『反貧困』岩波新書、2008

2014年9月13日土曜日

ソーシャルアクションの方法  デモを成功させるために(1)

では、こういったデモの効果を最大限発揮するためには、デモをどのように計画・実行すればよいのでしょうか。

ここからは、デモへの参加者という視点を変え、デモを主催し、デモを成功させるのであればどうするべきかを考えていきたいと思います。

以前も書きましたが、私のデモ参加歴は、20091月の年越し派遣村、20127月の大飯原発再稼働反対デモ、201312月の特定秘密保護法案反対デモ、20146月の集団的自衛権行使の閣議決定反対デモの全部で4つです。この中で最も成功を収めたと言えるのは、やはり年越し派遣村であると思います。年越し派遣村は、20081231日から200915日まで日比谷公園に開設された一種の避難所です。年越し派遣村は、デモというよりは、デモを含んだ、まさにソーシャルアクションそのものであったと思います。私は、ボランティアで1日参加しただけだったのですが、当時のことを思い出しながら、このソーシャルアクションがなぜ成功をおさめたのかを考えてみたいと思います。

2008年、アメリカの投資銀行であるリーマン・ブラザースが破綻し、大きな金融危機が起こりました。その余波を受け、日本は大幅な株安となり、輸出関連の大企業が大幅な減収となりました。それらの大企業に派遣労働者として勤務していた社員が数多く解雇され、その後の就職もままならないという状況が生まれていました。解雇された人達だけでなく、国民の多くが、先の見えない将来への不安を感じていたように思います。大企業の強引な派遣労働者解雇に対して、怒りの声を上げている人達がマスコミに取り上げられ、湯浅誠氏の顔をテレビでよく見るようになりました。

その頃、私はソーシャルアクションという言葉を教科書では知っていましたが、実際にソーシャルアクションを誰かがやっている光景を見たことはなく、やったという話を聞いたこともありませんでした。「ソーシャルアクションというのは、専門職の職能団体、当事者、市民が、行政機関に陳情することである」というくらいの認識しかなかったのです。その年末、湯浅誠氏や、宇都宮健児氏といった人達が、年越し派遣村を突然開設しました。それをテレビで見た私は、これはすごいことをやっているなと率直に思いました。


≪参考URL
Wikipedia「年越し派遣村」<http://ja.wikipedia.org/wiki/>(アクセス日:2014/9/9

2014年8月24日日曜日

ソーシャルアクションの方法  デモの効果について

では、デモはソーシャルアクションとして、どのような効果があるのでしょうか。
 
デモは、英語のdemonstrationの略です。皆さんご存知のように、示威、論証、立証というような意味です。まさにその意味の通り、デモは何らかの社会問題の存在を多くの人達に問題として提示することができます。社会問題が発生している根源とも言える場所に人が多く集まり、抗議のプラカードを掲げたり、シュプレヒコールを上げることで、それを見聞きした多くの人が、その場所に関連した何らかの社会問題が発生しているということに気付くことができます。また、デモは、テレビで放送されたり、インターネット上の動画で配信されれば、強力な視覚効果があります。ソーシャルアクションとして絵になり易いのです。社会問題に気付いていない人、関心のない人に対してもその存在を知らしめ、活字や音声では伝えられない大きなインパクトを提供することができます。

さらに、デモの絵としての視覚効果とインパクトは、それを見た人達に強い影響を与え、問題意識の連鎖を引き起こします。社会問題に関心がなかった人達が社会問題を意識し、考え始めるようになるわけです。デモへの賛同者の行動が、別な賛同者を自動的に募っていくということが起こります。私の経験では、20127月の原発再稼働反対デモがその例です。デモが毎週末行われ、毎週参加者が増えていきました。ちなみに、原発再稼働反対デモでは子連れの親子をよく見かけたのですが、デモに参加した経験は、子供の記憶にも深く残るのではないかなと思いました。デモを見た子供が大人になって、市民が自ら政治に関わっていくことの大切さに目覚めるのであれば、それは時間を経由した問題意識の連鎖と言えるのかもしれません。

2014年8月16日土曜日

ソーシャルアクションの方法  デモは手軽なソーシャルアクションだ

私は、いつもデモのことばかり記事にしていますが、別に四六時中ソーシャルアクションについて考えている人間というわけではありません。ただ、ソーシャルアクションの方法の中でも「デモ」という方法はとても大きな効果を持っていると思っていまして、皆さんにもその大きな効果を知っていただきたいと考えています。この記事の中で、少しずつ皆さんにお伝えしていきたいと思います。

まず、私のデモ参加歴なのですが、20091月の年越し派遣村、20127月の大飯原発再稼働反対デモ、201312月の特定秘密保護法案反対デモ、20146月の集団的自衛権行使の閣議決定反対デモに参加しました。全部で4つ。そんなに多くもないですよね。1つのデモへの継続参加日数は、最高で4回です。1つのデモに4回も行くと、さすがに疲れてきますし、効果についての疑問符も出てきますので、その時は行くのをやめています(笑)。

 
20091月に、初めて派遣村に参加した時は、かなり思い切って参加した覚えがありますが、その後のデモについては、割と気軽に参加してきたように思います。場所が大手町近辺で行われたので、仕事帰りに参加しやすかったということもあります。私はデモ愛好家というわけでもありませんし、どこかの政党の党員でもありません。いつも仕事帰りにお茶を飲む感じで、一市民として気軽にデモに参加しています。デモは本来、そういった気軽に参加できるソーシャルアクションであると思います。

デモに行って何をやるのかと思う人がいると思いますが、特別やることはありません。別にシュプレヒコールを上げる必要もなく、旗を振る必要もなく、ただその場に立って野次馬的に見ているだけでもいいのです。野次馬もデモの参加者であると言えます。大手町までの交通費はかかりますが、野次馬として見に行くだけでソーシャルアクションになり、国政にすら影響力を行使できる。こんなに手軽なソーシャルアクションがあるでしょうか。

2014年7月26日土曜日

ソーシャルアクションの方法  デモのすすめ

私は普段、在宅医療専門の診療所でソーシャルワーカーをやっているのですが、ソーシャルワーカーがもう少し日本の政治状況に関心を持ち、政治に対して何らかのソーシャルアクションをしていくべきなのではないかという考えを持っています。今のソーシャルワーカー業界を見ていると、政治に対する関心とソーシャルアクションが圧倒的に弱いのではないかと感じることがあります。職能団体のホームページを見たり、同業者と話していてそう思うことが多いです。もちろん、私自身も普段は医療・福祉業界で働いており、その仕事は結構忙しく、習得するべき知識や技術も色々とありますので、政治に対して広く深く関心を持っているとは言えません。

ただ、医療・福祉業界は、政治のありようによって大きく状況が変化してしまう業界です。新しい法律ができ、行政の制度運用方針が変われば、クライエントの生活は大きく影響を受けます。そして今の日本では、社会福祉に関する法律や制度の改変により、クライエントの生活の質、いや、国民全体の生活の質を下げていこうとする大きな力が働いていると思います。医療・福祉業界に関係している人なら、誰もが強く感じていることではないでしょうか。現場で働いていてこのような力を感じた時、ソーシャルワーカーはどのような行動ができるでしょうか。

そこで私が提案しているのが、ソーシャルアクションの方法の中でも、「デモ」という方法なのです。

2014年5月25日日曜日

お勧め本『ケースワークの原則』著:F・P・バイスティック、訳:尾崎新・福田俊子・原田和幸

言わずと知れた、ソーシャルワーカーにとってのバイブルです。まだきちんと読んだことがないという人がいるかもしれないと思い、改めてお勧め書籍として紹介させていただきます。
バイスティック氏は、援助関係を「援助関係とは、ケースワーカーとクライエントとの間で生まれる態度と情緒による力動的な相互作用である」と本の中で定義しています。定義にあるとおり、援助関係は言葉や行動ではなく、態度と情緒によるものです。そのため、様態として見極めることは以外と難しいと思います。

今でも医療、福祉の現場では、援助関係が成立しない時、その原因をクライエントのわがまま等、クライエントの責任にしてしまったり、相性の問題として片付けてしまうことがよくあります。援助関係について語る人がいたとしても、関係ができている、関係ができてない、という大雑把な二元論で語るだけだったりします。


バイスティック氏は、この様態として見極めることが難しく、評価しづらい援助関係という概念と、援助関係を構成する7つの要素を世の中に広めました。


この本を再読し、援助関係という概念を自分の中でもう一度再構築していかなければならないのではないかと思いました。援助関係は目で見極めることが難しいため、第三者に検証してもらうことは難しく、その機会もほとんどなかったりします。そのため、現場で何となく仕事をしているだけだと、その重要性を経験とともに軽視するようになり、いつしか忘れてしまっているという結果にもなりかねません。心当たりがある方も少なくないのではないでしょうか。


「援助関係とは、ケースワーカーとクライエントの間で生まれる態度と情緒による力動的な相互作用である。」この定義を肝に命じておきたいと思います。

2014年5月13日火曜日

お勧め本『エコロジカルソーシャルワーク‐カレル・ジャーメイン名論文集』著:カレル・ジャーメイン他、編訳・著:小島蓉子

「生活モデル」という概念を世に広めたカレル・ジャーメイン氏が書かれた論文集です。訳者の小島氏が「生活モデル」の考え方を日本に紹介するべく、ジャーメイン氏の有名な論文を集めて翻訳・出版されました。初版が1992年と結構古く、内容はやや抽象的ですが、ソーシャルワークの機能を色々な概念を用いて見事に説明しています。

現場で何年か働いてから読むと、「そうだよ。確かにそうだよ。」とうなずくことが多く、現場実践の基礎として理論を学ぶことがいかに大切かということを実感できます。他の職種の方から、「ソーシャルワークって何?あなた達のやっていることってよくわからないね。」などと言われた時、この本を読んでいると即座に説明できると思います。「私には理論なんか必要ないです。」と思っている方にぜひ読んでいただきたいです。


ちなみに、ジャーメイン氏は1995年に亡くなっていますが、氏の代表的理論書、「The Life Model of Social Work Practice」は第3版まで出版されています。ただ、第3版は、まだ日本語に訳されていません。私は、洋書を読みこなすのはちょっと厳しいので、英語の得意な方、ぜひ訳して出版して下さい。よろしくお願いいたします。

2014年3月9日日曜日

メールマガジン投稿へのお誘い(2)

前回の記事は、3/1のイベントで思うことがあり、メールマガジンへの投稿を呼びかけさせていただきました。今回もその続きです。

今回、私が皆さんにお伝えしたいのは、メールマガジンの記事を書く時、ネタがあるから書くというより、何かを書いて文章にしてみることで、自分の中に新しい問題意識というネタが生まれるということです。

実は3/1SCAイベントの懇親会で、参加して下さった方とお話したのですが、その方が「メールマガジンは、ネタがないとなかなか書けないですよね。」とおっしゃっていました。先週からそのことを考えていたのですが、よくよく考えると、ネタがあるから書くというのも確かにそうなのですが、書いていると、書きたいネタが自分の中から出てくるようになるという感じがしています。

この記事、「メールマガジン投稿へのお誘い」も、本当は前回の投稿1回で終了する予定でしたが、もう1回分書きたくなってしまいました(笑)。それは、前回の記事を書いたことで、自分の中にあった漠然とした思いや問題意識が整理され、そこからまた新しい思いや問題意識が生まれたからだと思います。表現を変えると、ある問題意識から新たな「問い」が生まれたのだとも言えます。

もやもやとした思い→書くことで思いが整理されて問題意識が生まれる→整理された問題意識を、それぞれ掘り下げて書きたくなる…という具合に書きたいことが次々と生まれてきます。

このように、文章を書くことは、自分自身があまり意識していなかったことを意識化し、気付くための作業であるとも言えます。そのため、文章を書き始める時には、書き終わった時にどのような文章が出来上がるかはわかりません。そして、そのことが文章を書くことの楽しみとも言えるのです。

そのような訳で、皆さんのメールマガジンへの投稿をお待ちしています。

2014年3月2日日曜日

メールマガジン投稿へのお誘い(1)

3/1「これからのソーシャルワークの話をしよう」のイベントと懇親会に参加していただいた皆さん、ありがとうございました。

懇親会でたくさんの方とお話をさせていただき、皆さんが現場で色々な問題意識を持って働いていらっしゃるこということを実感し、それをSCAの中で共有させていただけたら素晴らしいなと改めて思いました。SCAは、参加型のプラットフォームです。メールマガジンも参加型です。ぜひ色々な方にメールマガジンに投稿していただきたいと思いました。参加者が新たな参加者に呼びかけるというのが参加型プラットフォームの醍醐味です。

私はあくまで現場で働いて感じる問題意識をネタにして記事を書いています。問題意識と言ってもそんな大したことではなく、仕事をしていて、「これはちょっと変だな。」とか「これは発見だ。」と感じれば、もうそれは問題意識なのです。

単発の投稿でも、それが水面に落ちた石が作る波紋のように大きく広がっていくかもしれません。あなたの記事を読んで他の誰かがそれに触発され、人と人のつながりができます。人と人との線ができ、線が面に広がってネットワークが生まれ、そのネットワークが社会をよりよい方向に変えていくかもしれないのです。

私もSCAに参加することで、関係する色々な方から現場で役立つ知恵やエネルギー(これが本当に大きいです)をいただき、職場や職能団体を超えた「エネルギーの磁場」とつながっているという安心感を得ることができています。

皆さんのメールマガジンへの投稿をお待ちしています。