2014年9月21日日曜日

ソーシャルアクションの方法  デモを成功させるために(2)

私は、年越し派遣村が開設されたことをテレビで知り、これは本当にすごいことをやっているなと思いました。何がすごかったのでしょうか。一言で言うと、社会に対しての影響力、インパクトが強烈だったということだと思います。

まず、テレビや新聞を始め、マスコミが年越し派遣村を大々的に取り上げ、応援してくれました。派遣村主催者の方達も、マスコミへの広報戦略の必要性を重視し、とにかくマスコミを使って自分達のやっていることを知ってもらおうとしていたと思います。多くの人達に、「今、日本に貧困や派遣切りという大きな社会問題が存在する」ということと、「貧困は自己責任ではなく、社会の問題である」ということを伝えることに成功していました。

年越し派遣村主催者の中心人物だった方が湯浅誠氏です。今は超有名人ですから、メルマガ読者の皆さんもご存じかと思います。湯浅氏は、「貧困は自己責任である」という論理を広めようとしている財界著名人に対する反対の論陣を張っていました。20084月に、岩波新書から『反貧困』という新書を著し、テレビでは、貧困自己責任論を支持している人達に論戦を挑み、その論戦は、テレビで中継されていました。

私は、「日本にも、こんなカリスマのような人が現われたのか。湯浅氏に、ぜひ日本の救世主になってほしい。これは自分も応援しに行くしかない。この人はソーシャルワーカーではないみたいだ。あれ、ソーシャルワーカーの団体は、年越し派遣村を応援しているのだろうか?」などと考えながら、食い入るようにテレビを見ていたことを覚えています。

≪参考文献≫
湯浅誠『反貧困』岩波新書、2008

2014年9月13日土曜日

ソーシャルアクションの方法  デモを成功させるために(1)

では、こういったデモの効果を最大限発揮するためには、デモをどのように計画・実行すればよいのでしょうか。

ここからは、デモへの参加者という視点を変え、デモを主催し、デモを成功させるのであればどうするべきかを考えていきたいと思います。

以前も書きましたが、私のデモ参加歴は、20091月の年越し派遣村、20127月の大飯原発再稼働反対デモ、201312月の特定秘密保護法案反対デモ、20146月の集団的自衛権行使の閣議決定反対デモの全部で4つです。この中で最も成功を収めたと言えるのは、やはり年越し派遣村であると思います。年越し派遣村は、20081231日から200915日まで日比谷公園に開設された一種の避難所です。年越し派遣村は、デモというよりは、デモを含んだ、まさにソーシャルアクションそのものであったと思います。私は、ボランティアで1日参加しただけだったのですが、当時のことを思い出しながら、このソーシャルアクションがなぜ成功をおさめたのかを考えてみたいと思います。

2008年、アメリカの投資銀行であるリーマン・ブラザースが破綻し、大きな金融危機が起こりました。その余波を受け、日本は大幅な株安となり、輸出関連の大企業が大幅な減収となりました。それらの大企業に派遣労働者として勤務していた社員が数多く解雇され、その後の就職もままならないという状況が生まれていました。解雇された人達だけでなく、国民の多くが、先の見えない将来への不安を感じていたように思います。大企業の強引な派遣労働者解雇に対して、怒りの声を上げている人達がマスコミに取り上げられ、湯浅誠氏の顔をテレビでよく見るようになりました。

その頃、私はソーシャルアクションという言葉を教科書では知っていましたが、実際にソーシャルアクションを誰かがやっている光景を見たことはなく、やったという話を聞いたこともありませんでした。「ソーシャルアクションというのは、専門職の職能団体、当事者、市民が、行政機関に陳情することである」というくらいの認識しかなかったのです。その年末、湯浅誠氏や、宇都宮健児氏といった人達が、年越し派遣村を突然開設しました。それをテレビで見た私は、これはすごいことをやっているなと率直に思いました。


≪参考URL
Wikipedia「年越し派遣村」<http://ja.wikipedia.org/wiki/>(アクセス日:2014/9/9