2015年2月8日日曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(6)  マスコミの機能不全2

前回の記事では、マスコミが機能不全に陥っており、問題意識の連鎖反応が起きなくなっているということを書きました。

では、マスコミが機能不全に陥っているのはなぜなのでしょうか。

ここ数年のことですが、政治家がマスコミに圧力をかけたり、懐柔したりして、大きな影響力を行使するようになったことが1つの要因だと思います。国営放送の役員が急に政府寄りの発言をする人ばかりになったり、政治家が大手マスコミの経営陣と何度も会食しているということがインターネット上でニュースになり、国会審議でも取り上げられました。これは、政治家が国民に知らせるべき情報をコントロールして、国民の知る権利を侵害し始めているということです。それも隠れてやるのではなく、見せつけるようにやっている節もあり、それ自体が暗黙の圧力になっています。


また、201412月には、特定秘密保護法という法律が施行されました。この法律は、国の安全保障に関する情報のうち、秘密にしておくことが必要である情報を特定秘密として指定し、その漏えいの防止を図り、国民の安全に資することが目的とされています。条文を読むと、基本的にはスパイを防止するための法律のように思えます。


しかし、過去の歴史をたどると、こういった情報統制のための法律が、国民の権利を制限するために恣意的に運用されたことを忘れてはなりません。この法律のやっかいなところは、特定秘密に指定できる情報の基準が曖昧であることと、特定秘密に指定された情報を探ろうとすると、どこかの段階で罰則が適用されるかもしれないという恐怖を取材者に感じさせる部分だと思います。


これらの圧力は、マスコミや表現の仕事をしている人達には無視し難いものだと思います。大手マスコミの社員である記者は、社内で波風が立たないよう、取材対象や取材内容を選び、記事の書き方を控えめにするという選択をする人も出てくるでしょう。このようにして、マスコミの中で自主規制が行われるようになり、国民は正確な情報を知ることが難しくなっていきます。


今、政治家はマスコミをコントロールしようと意図し、それが可能であるということを実証してしまいました。そしてマスコミをコントロールすることの旨みを覚えてしまったわけです。このような情報統制の網は、今後様々な場面で広がっていくことでしょう。政治家が堂々と国民の知る権利や表現の自由を規制するということを、私達はこのまま黙って見ているしかないのでしょうか。


≪参考URL

朝日新聞デジタル 特定秘密保護法の全文
http://www.asahi.com/articles/TKY201312070353.html>(アクセス日:2015/2/7

2015年2月1日日曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(5)  マスコミの機能不全1

前回の記事では、問題意識の連鎖反応を拡大する鍵を握っているのは、マスコミの報道の仕方であると書きました。

では、私が参加した3つのデモについて、マスコミの報道の仕方はどうだったのでしょうか。私の当時の印象では、デモについての報道は、非常にさらりとした、通り一遍の報道であったと思います。このようなテレビの短時間の報道、あるいは新聞の小さな見出しでは、デモの熱は広がらず、問題意識の連鎖反応が広がっていくはずもないなと思ったのを覚えています。

この記事を読んで下さっている皆さんも感じている方が多いと思いますが、今のマスコミは、完全に機能不全に陥ってしまっていると思います。権力を批判的に見る目を失ってしまっているのです。口では公正中立な報道と言いながら、政界や財界の顔色をうかがい、国民の生活を守るというスタンスの報道を意図的に控えるようになってきていると思います。もちろん、各テレビ局、新聞社によって、報道内容や報道姿勢に違いがあるわけですが、大手テレビ局、新聞社ほどその傾向があるように感じます。

例えば、今、沖縄では、普天間の在日米軍基地を辺野古に移転するための工事を進めています。沖縄では、昨年12月に県知事選挙が行われ、基地の移転に反対する翁長知事が当選しました。しかし、日本政府は沖縄県民の民意を無視し、半ば強制的に工事を進めています。そういう国民の生活に直接関わる政治問題や社会問題に対し、沖縄の地方新聞は、かなりストレートに日本政府を批判する記事を書いています。インターネットでそれらの新聞の社説を読むだけでも、ジャーナリズム精神というものを感じるのです。それに対して、大手のテレビ局では、沖縄の基地問題はほとんど話題にもなりませんし、政府批判自体を自粛し、手控えているように思えます。


大手のマスコミが国民の生活に関する問題、社会問題を大きく取り上げなくなっているというのであれば、どれだけデモのようなソーシャルアクションをしても、それが国民に情報として伝わらず、問題意識の連鎖反応はなかなか拡大していきません。そして時間の経過とともに、日本に社会問題が存在するという認識自体が国民の意識から消えていってしまいます。