2015年3月30日月曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(9)  社会の変質

前回は、政治が機能不全になっている原因として、私達が政治にほとんど関わらなくなってしまったということがあるのではないかということを書きました。

デモの話に戻りますが、私がこのメールマガジンの記事を書き始めたのは、ソーシャルアクションの方法として、デモという方法があるということを皆さんに知ってもらいたいと思ったことがきっかけでした。デモという方法は、社会問題を浮き彫りにし、世間に訴えていくための1つの方法であり、デモという方法を通して、ソーシャルアクションや日本の政治について考えてもらう機会になればと思ったのです。

記事を書き始めた当初、デモという方法は、ソーシャルアクションとしてかなり有効な方法だと思っていました。ところが、ここ1年半くらいで、社会の状況が驚くほど急激に変化してしまいました。これは、マスコミと政治の変化による社会の変質と言っていいと思います。


社会問題に関するデモは、今も熱心に取り組んでいる方達がいますが、明らかに数年前のような熱気と盛り上がりはなくなってきています。デモが実施されるという情報も、あまり届いてこない感じがします。本当は、今のような社会の状況だからこそ、大きなデモをやって社会問題の存在を訴えていくべきだと思うのですが、デモが大規模に膨らんでいくための社会の構造そのものが変質させられてしまったわけです。


残念ながら、今の日本は、マスコミの機能不全、政治の機能不全等の現象が重なり、デモという形で社会問題を訴えても、ほとんど効果がない状態になっています。政治家がマスコミに圧力をかけ、マスコミはその圧力に抵抗することを放棄し、同時に、国民に対して政治問題や社会問題をアナウンスするという仕事も放棄しました。政治家もマスコミも政治問題や社会問題を黙殺するという状態になっています。そのため、デモをやっても多くの人にその情報が伝わらず、共感も得られず、問題意識の連鎖反応が起きないのです。デモの主催者より、国を仕切っている人達の方が何枚も上手で、したたかだったと言わざるを得ないでしょう。

次回から、今のような社会の状況で私達に何ができるのかを改めて考え、記事にしていきたいと思います。

2015年3月15日日曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(8)  政治の機能不全2

前回の記事では、マスコミだけでなく、日本の政治も機能不全に陥っているということを書きました。

政治が機能不全に陥っていて、政治家が軽い存在になっているということを考える時、その人達を選んでいるのは誰なのかという問いが出てきます。もちろん、それは私達国民です。私達は、政治家を選挙で選んでいますが、政治を機能不全にしてしまうような政治家を選んでしまう私達自身にも問題があると言えるでしょう。

また、国政選挙における投票率は、毎回下がってきています。総務省のホームページによると、平成257月の参議院議員選挙、平成2612月の衆議院議員選挙ともに52%代で、衆議院議員選挙については、戦後最低の数字のようです。この低投票率からは、政治への諦め、無関心という問題が見えてきます。

この政治への諦めや無関心ということを考える時、やけに記憶に残っている話があります。私が高校3年の時、公民を担当していた40代後半の男性の先生がしてくれた話です。その先生は、大学受験の科目ではないため、真面目に話を聞いていない私達の前で、にこにこ笑いながらこんな話をしてくれました。


「皆さん、政治家っていうのはね、本音を言えば、皆さんにできるだけ政治のことは考えてほしくないんですよ。国民に政治のことを色々考えられて口出しされると、自分達で好き勝手やることができなくなりますからね。政治家が国民に望むのは、テレビのバラエティー番組を見て、げらげら笑って、政治のことなんか何も考えず、お気楽に生活していってほしいっていうことなんですよ。そうすれば自分達で何でも好きなようにできますからね。」というような内容だったと思います。


この先生の授業の内容は、今ではほとんど忘れてしまいましたが、この話だけはなぜか私の記憶に残り続けていて、ここ数年の政治状況を見るたびに思い出してしまいます。上記の先生の話は、今の政治状況を予測するような鋭い指摘でした。先生がこの話をしてくれた当時は、ちょうどバブル景気が始まろうとしていた時代です。真面目に物事を考えるのはダサイことであり、何となく軽い乗りで生きていくことがかっこいいとされていた時代でした。


私達は、「政治というものは難しくて取っ付きづらいものだ。自分が直接関わるものではない。政治家がやってくれていればそれでいい。」といつの間にか思わされてきたのではないでしょうか。だとすれば、政治家の思惑通りにまんまと騙されてきてしまったということです。

 
ソーシャルワーカーの仕事をしていて思うのは、政治は、私達の生活と直結していて、私達の生活そのものを大きく左右していくものであるということです。私達が政治をきちんと監視していかないと、私達やクライエントの生活は、とんでもない方向に進んでいってしまいます。私達は、政治をもっと身近に考え、場合によっては直接的な関わりをしていく必要があるのではないでしょうか。

≪参考URL≫

総務省ホームページ 国政選挙の投票率の推移について
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/ritu/index.html
(アクセス日:2015.3.14)

2015年3月8日日曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(7)  政治の機能不全1

前回の記事では、マスコミが機能不全に陥っている要因として、政治家がマスコミに圧力をかけたり懐柔するようになり、国民の知る権利を侵害し始めているということを書きました。

政治家がマスコミに対して露骨に圧力をかけたり懐柔するようになったということは、政治家が民主主義の基本原理を無視するようになったということであり、マスコミが機能不全になっているのと同時に、日本の政治も機能不全に陥っているということです。

私は、この10年くらいで、日本の政治家に対する印象が大きく変わりました。今の日本の政治家を見ていると、日本を背負っている人達であるという感じがしないのです。また、未来の日本をどう作っていくかというビジョンを持っているようにも感じられません。どことなく軽い乗りで仕事をしている人達であると思ってしまうのです。真面目に政治家としての仕事に取り組んでいる方もいるはずなのですが、軽いと感じてしまうのはなぜなのでしょうか。

1つは、今の日本の政治家は、戦争を経験していないということがあると思います。彼らは、1945815日の敗戦と、その後の占領を経験していません。敗戦とその後の占領について、歴史上の出来事としての知識は持っているのでしょうが、敗戦と占領による混乱や理不尽をあまり体験せずに生きてきた世代の人達であるように思います。

一方で、彼らの祖父母や父母は、戦争で親族を亡くし、自分自身が食糧難や貧困を体験し、国土を外国に占領されるという屈辱を味わい、日本が二度とこのような目に遭わないようにするためにどうすればいいかを本心から考え、今の日本の社会システムを作ってきたのだと思います。

今の日本の政治家は、自らはあまり苦労せず、先行世代の政治家が作った物をそのまま引き継いだだけであるということです。そう考えると、政治家としての理念や覚悟がないように見えるのも仕方がないのかもしれません。

また、今の政治家が軽く感じられるのは、彼らが今のことしか考えていないからということもあると思います。国会中継を聞いていると、とりあえず今を乗り切れれば、50年先のことはどうなってもいいのだろうかと思うことがあります。過去については、先行世代が積み上げてきた社会システムを引き継ぐだけでは飽き足らず、それらを否定し、壊していこうとする意志すら感じられます。過去を否定し、今のことだけにしか目を向けないのであれば、当然未来への深い洞察も生まれてきません。彼らは、過去と未来の双方を切り離した思考を持つ人達であるということです。


≪参考動画≫

「後藤田正晴ロングインタビュー」
https://www.youtube.com/watch?v=-w9AyFAyjMw>(アクセス日:2015/3/7