2018年8月5日日曜日

お勧め本『日本会議の研究』著:菅野完

この本は、現在の安倍政権を支え、日本の政治に大きな影響力を行使している日本会議という団体についてのルポタージュです。


事前に書いておきますが、私は安倍政権を支持していませんし、この日本会議と呼ばれる団体で活動している人達の政治思想には全く同意できないと感じています。しかし、この本に出てくる日本会議を束ねる人達が、自分達の思想を政治に反映していこうとしてきた方法について思うところがあり、記事にしてみました。

日本会議は、右翼的な考えを持った様々な宗教団体の連合体です。教義や信仰対象が違う宗教団体が、日本という国家の在り方について自分達の理想を追求する過程で緩やかな繋がりを作り、1つの大きな宗教団体の連合体を結成し、日本の政治に影響力を行使してきた、ということのようです。日本会議の源流となる団体「日本を守る会」の結成は、1974年で、今年で既に44年が経過しています。日本会議は、宗教団体の連合体として、44年の長きに渡り、日本の政治に影響力を行使し、安倍政権は、成立時から日本会議の強い影響下にあります。

著者は、この謎の多い団体について、膨大な資料に当たり、様々な関係者にインタビューをして、その実態に迫っています。さて、日本会議は、44年間どのような活動をして、ここまで政治に対する影響力を強めてきたのでしょうか。

この本の最後、「むすびにかえて」の部分には、以下のような一節があります。「この間、彼らは、どんな左翼リベラル陣営よりも頻繁にデモを行い、勉強会を開催し、陳情活動を行い、署名集めをしてきた。彼らこそ、市民運動が嘲笑の対象とさえなった80年代以降の日本において、めげずに、愚直に、市民運動の王道を歩んできた人々だ。その地道な市民活動が今、「改憲」という結実を迎えようとしている。彼らが奉じる改憲プランは、「緊急事態条項」しかり、「家族保護条項」しかり、おおよそ民主的とも近代的とも呼べる代物ではない。むしろ本音には「明治憲法復元」を隠した、古色蒼然たるものだ。しかし彼らの手法は間違いなく、民主的だ。」

私は、日本会議について、右翼的な思想を持った団体ということは知っていました。そういう団体が、どうしてここまで政治的影響力を強めたのか、以前から疑問に思っていましたが、この本を読んでみると、その活動の方法が、勉強会の開催、陳情活動、署名集め、デモといった、特別でも何でもない、非常に地味な方法の積み重ねであったことがわかります。これらの方法は、ソーシャルアクションの手法そのものです。このことは、私にとって新鮮な驚きでした。そのような地味な活動を、40年以上もの長い間、飽きることもなく地道に積み重ねてきたということも特筆すべきことであると思います。

そして、これが一番重要なことですが、日本会議は、これらの活動を、高度に組織化された形で展開してきました。ある団体が社会的影響力を強め、政治に対する影響力を行使することができるようになるためには、その活動が組織化されていかなければならないということがよくわかります。この本の後半部分では、日本会議の影の中心人物と言える、1人の天才オルガナイザーの実像が記述されています。

本の内容は、日本会議という団体の歴史、関係する人物の活動史がほとんどであり、読む人によって好き嫌いは分かれると思います。私達が何らかの形で社会に働きかける活動をする時、その活動を組織化し、地道に継続していくことが重要である、ということを教えてくれる本でした。


2016年8月13日土曜日

優性思想という亡霊に立ち向かうために

2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設で、非常に衝撃的な事件が起きました。あまりにも衝撃的な事件で、しばらくの間、自分の中から湧き上がってくる感情や考えをうまく整理することができなかったのですが、社会福祉を仕事にしている人間として、黙って見過ごしてはいけない何かを感じたため、この文章を書きました。

この事件では、容疑者が、過去に自分が職員として働いていた障害者施設の入所者を包丁で襲い、19人を殺害、26人を負傷させました。犯行前の平成28年2月、犯行予告とも受け取れるような直筆の手紙を、衆議院議長公邸を訪問して公邸職員に渡しており、手紙の内容は、テレビやネットでも公開されました。

社会的に最も弱い存在である重度障害者が、施設の元職員に19人も殺害されたという事実にまず戦慄しましたが、私が一番動揺し、不安を感じたのは、この手紙の内容でした。手紙には、「私は障害者総勢470名を抹殺することができます。理由は世界経済の活性化、…。」「私の目標は、障害者の方が保護者の同意を得て安楽死できる世界です。」等の文章が並んでいました。

この事件がきっかけとなり、新聞やテレビでも報道されるようになりましたが、容疑者が手紙に書いたような考え方は、優性思想と呼ばれます。簡単に言うと、「障害や遺伝性疾患を持っていない遺伝子的に優秀な人にだけ生きる価値があり、そうでない人は、生かしても仕方がないので淘汰されていくべきだ」というような思想のことです。1933年にドイツで政権を握ったナチス党は、この優性思想に基づいてT4計画という計画を作り、精神障害者や遺伝性疾患を持った人達をガス室で殺害するという政策を実行しました。約20万人の障害者が殺害されたと言われています。そして、その際に使用されたガス室は、その後のユダヤ人大虐殺にも使用されたため、T4 計画はユダヤ人大虐殺の予行演習だったとも言われているそうです。

このT4計画については、平成27年夏に、NHKのETV特集で、「それはホロコーストのリハーサルだった~障害者虐殺70年目の真実」というテレビ番組が放映されています。日本障害者協議会で代表をされている藤井克徳氏がドイツを訪れてT4計画の痕跡をたどり、犠牲になった方の家族や関係者に当時の話を聞いていくという内容でした。

この容疑者の手紙の内容を目にして、私は優性思想が今後の日本社会で再び根をはり、拡大していくのではないかという不安に襲われました。

日本では、過去にもハンセン病の人達を強制的に隔離したという形で、優性思想が政策化されていたことがあります。そして今の日本は、生産性こそが最高の価値であり、たくさんのお金を稼げる人は価値があり、生産性が低く、お金を稼げない人には価値がないという考え方が多くの人達の間で共有されているのではないでしょうか。この生産性至上主義的な考え方と優性思想は、非常に親和性が高いのではないかというのが私の感じている不安なのです。生産性至上主義が日本で価値観としての強度を増し、同時に社会の経済的余裕が失われていく時、優性思想は再びどこかから出現し、日本の社会福祉に襲いかかってくるのではないかという気がしたのです。

ここで私は、皆さんに問いたいと思います。この優性思想が時代の空気とともに再度日本で噴出してくるようなことがあった時、皆さんはそれに対抗できるロジックを持っていますか?

社会福祉の根拠として、人間の尊厳、人権といった概念があります。日本国憲法にも、生存権、幸福追求権といった概念が確立されています。しかし、人権という概念は、西欧から輸入された概念で、日本人が自ら作り出した概念ではありません。日本人は、人権という概念を本当の意味で内面化しているようには思えないのです。さらに現在、日本国憲法についても改憲の議論が起きており、生存権や幸福追求権が今後どのように変わってしまうかわかりません。

そのような中で、社会福祉の根拠をどのように説明することができるでしょうか。社会的弱者を包摂した社会を作っていく必要性を、どのように説明すれば多くの人に納得してもらえるでしょうか。

今回の事件に関して、上記のETV特集に出演されていた日本障害者協議会の藤井克徳氏が、下記に紹介する動画で、上記の問いに対する1つのヒントを提示して下さいました。藤井氏は、ナチスのT4計画と絡めて、優性思想を政策化した社会は、「弱者探しの連鎖」(動画23分の辺り)に陥るのではないかとおっしゃっています。

「弱者探しの連鎖」という言葉から私が想像したのは、「社会的弱者を亡き者にするような社会は、人間の弱さを許容できないという、ある種の脆弱性を抱えた社会であり、長く存続できずに崩壊するのではないか」ということでした。これは、ナチスドイツがたどった運命から言えるのではないかと考えました。このことが一般化できるかどうかは検証が必要ですが、これも社会福祉がなぜ必要なのかを説明する1つのロジックです。

社会福祉は、社会の要請に従って現在の形になってきました。しかし今、社会そのものがものすごいスピードで変化しています。変化する社会の中でも通用するような、社会福祉の必要性を端的に説明するロジックを、私達は自分達で生み出し、繰り返し社会に提示していく必要があると思います。

≪参考動画≫
「"障害者に安楽死を"はナチスの優生思想そのもの・障害者団体の代表が
社会の風潮に懸念を表明」
(ゲスト)藤井克徳氏(日本障害者協議会代表)
http://www.videonews.com/interviews/20160727_fujii/(アクセス日:2016/8/6)

2015年12月26日土曜日

2015年の感想

今年は、日本の衰退を実感した1年だった。

日本は人口が減少し、経済が縮小してきている。今行われているような大企業や富裕層だけを優遇する経済政策では、経済成長率を上昇させることはできない。富裕層をますます富ませる一方で、貧困層を増加させるだけである。今の政権は、広がっていく社会の格差を是正しようという気は全くないらしい。

いつの時代でも、富裕層の人々が、資産や所得の再分配を自ら政策として提言することはない。これから庶民は、格差がどんどん広がっていく社会で、こじんまりと生きていくしかないだろう。

しかし、政策や制度に関して、身近に存在する明らかにおかしいことについては、仲間と連帯して声を上げ、地道に訴え続けていく必要がある。自分の足元から、時間をかけてそれをやっていくしかないのだと思う。

2015年4月5日日曜日

お勧め映画 「フェイトレス~運命ではなく」監督:ラホス・コルタイ、出演:マルセル・ナギ

今回は、お勧めの映画を紹介させていただきます。

この映画は、ハンガリーの映画で、14歳の少年が経験したホロコースト(第2次世界大戦中、ナチスが行ったユダヤ人大量虐殺)の収容所生活を描いています。ホロコーストを描いた映画は、「シンドラーのリスト」、「ライフ・イズ・ビューティフル」等がありますが、この映画は、日本ではあまり知られていないと思います。ハンガリーのユダヤ人作家、ケルテース・イムレ氏の自伝的小説が原作で、小説は2002年にノーベル文学賞を受賞しているそうです。


主人公である14歳の少年、ジュルカは、ハンガリーの首都、ブタペストに住むユダヤ人です。ナチス占領下のハンガリーでは、ユダヤ人は差別と管理の対象であり、ユダヤ人は全員、左胸に黄色い星のマークをつけて生活しています。

物語は、ジュルカの父に労働収容所への召集状が届く場面からスタートします。親戚一同が集まり、父との別れを惜しむ最後の晩餐の後、ユダヤ教のラビと思われる男性がジュルカに、「幸せだったお前の子供時代はもうおしまいなんだ。ユダヤ人の運命をお前も担っている。運命とは何かわかるか?数千年にわたる絶え間ない迫害を、平常心と忍耐で受け止めねばならない。」と告げます。14歳のジュルカには、ラビの言葉がまだピンときていません。

映画の邦題にも運命という言葉が含まれていますが、「運命」がこの映画の主題です。そして、このラビの言葉通り、ジュルカはユダヤ人の運命に翻弄されていきます。

ある日、ジュルカは、勤労奉仕に従事している同級生と一緒に、着のみ着のまま汽車に押し込められ、ドイツのブーヘンヴァルトにある労働収容所に収容されます。労働収容所で、ジュルカは、故郷に帰りたいという思いを胸に、生きるために働きます。しかし、労働収容所での生活は、常に死と隣り合わせの過酷なものでした。

映像は全編セピア色に着色されており、淡々と収容所生活が描かれます。ジュルカは何とか生き残り、収容所から解放され、自由を獲得します。解放された後のジュルカの述懐は、この映画の肝になっており、述懐の中のジュルカの台詞の解釈の仕方は、映画を見る人によって分かれるのではないかと思いました。正直、最後のジュルカの述懐は、収容所での生活を経験していない私にとって、共感するのが難しいと感じました。あまり書くとネタバレになりますが、この主人公の述懐は、現代を生きる私達に対する原作者からの問題提起だと思います。

映画の全編を通じて、人間や社会について考えるための素材になる作品です。皆さんにもぜひお勧めしたいと思います。

2015年3月30日月曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(9)  社会の変質

前回は、政治が機能不全になっている原因として、私達が政治にほとんど関わらなくなってしまったということがあるのではないかということを書きました。

デモの話に戻りますが、私がこのメールマガジンの記事を書き始めたのは、ソーシャルアクションの方法として、デモという方法があるということを皆さんに知ってもらいたいと思ったことがきっかけでした。デモという方法は、社会問題を浮き彫りにし、世間に訴えていくための1つの方法であり、デモという方法を通して、ソーシャルアクションや日本の政治について考えてもらう機会になればと思ったのです。

記事を書き始めた当初、デモという方法は、ソーシャルアクションとしてかなり有効な方法だと思っていました。ところが、ここ1年半くらいで、社会の状況が驚くほど急激に変化してしまいました。これは、マスコミと政治の変化による社会の変質と言っていいと思います。


社会問題に関するデモは、今も熱心に取り組んでいる方達がいますが、明らかに数年前のような熱気と盛り上がりはなくなってきています。デモが実施されるという情報も、あまり届いてこない感じがします。本当は、今のような社会の状況だからこそ、大きなデモをやって社会問題の存在を訴えていくべきだと思うのですが、デモが大規模に膨らんでいくための社会の構造そのものが変質させられてしまったわけです。


残念ながら、今の日本は、マスコミの機能不全、政治の機能不全等の現象が重なり、デモという形で社会問題を訴えても、ほとんど効果がない状態になっています。政治家がマスコミに圧力をかけ、マスコミはその圧力に抵抗することを放棄し、同時に、国民に対して政治問題や社会問題をアナウンスするという仕事も放棄しました。政治家もマスコミも政治問題や社会問題を黙殺するという状態になっています。そのため、デモをやっても多くの人にその情報が伝わらず、共感も得られず、問題意識の連鎖反応が起きないのです。デモの主催者より、国を仕切っている人達の方が何枚も上手で、したたかだったと言わざるを得ないでしょう。

次回から、今のような社会の状況で私達に何ができるのかを改めて考え、記事にしていきたいと思います。

2015年3月15日日曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(8)  政治の機能不全2

前回の記事では、マスコミだけでなく、日本の政治も機能不全に陥っているということを書きました。

政治が機能不全に陥っていて、政治家が軽い存在になっているということを考える時、その人達を選んでいるのは誰なのかという問いが出てきます。もちろん、それは私達国民です。私達は、政治家を選挙で選んでいますが、政治を機能不全にしてしまうような政治家を選んでしまう私達自身にも問題があると言えるでしょう。

また、国政選挙における投票率は、毎回下がってきています。総務省のホームページによると、平成257月の参議院議員選挙、平成2612月の衆議院議員選挙ともに52%代で、衆議院議員選挙については、戦後最低の数字のようです。この低投票率からは、政治への諦め、無関心という問題が見えてきます。

この政治への諦めや無関心ということを考える時、やけに記憶に残っている話があります。私が高校3年の時、公民を担当していた40代後半の男性の先生がしてくれた話です。その先生は、大学受験の科目ではないため、真面目に話を聞いていない私達の前で、にこにこ笑いながらこんな話をしてくれました。


「皆さん、政治家っていうのはね、本音を言えば、皆さんにできるだけ政治のことは考えてほしくないんですよ。国民に政治のことを色々考えられて口出しされると、自分達で好き勝手やることができなくなりますからね。政治家が国民に望むのは、テレビのバラエティー番組を見て、げらげら笑って、政治のことなんか何も考えず、お気楽に生活していってほしいっていうことなんですよ。そうすれば自分達で何でも好きなようにできますからね。」というような内容だったと思います。


この先生の授業の内容は、今ではほとんど忘れてしまいましたが、この話だけはなぜか私の記憶に残り続けていて、ここ数年の政治状況を見るたびに思い出してしまいます。上記の先生の話は、今の政治状況を予測するような鋭い指摘でした。先生がこの話をしてくれた当時は、ちょうどバブル景気が始まろうとしていた時代です。真面目に物事を考えるのはダサイことであり、何となく軽い乗りで生きていくことがかっこいいとされていた時代でした。


私達は、「政治というものは難しくて取っ付きづらいものだ。自分が直接関わるものではない。政治家がやってくれていればそれでいい。」といつの間にか思わされてきたのではないでしょうか。だとすれば、政治家の思惑通りにまんまと騙されてきてしまったということです。

 
ソーシャルワーカーの仕事をしていて思うのは、政治は、私達の生活と直結していて、私達の生活そのものを大きく左右していくものであるということです。私達が政治をきちんと監視していかないと、私達やクライエントの生活は、とんでもない方向に進んでいってしまいます。私達は、政治をもっと身近に考え、場合によっては直接的な関わりをしていく必要があるのではないでしょうか。

≪参考URL≫

総務省ホームページ 国政選挙の投票率の推移について
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/ritu/index.html
(アクセス日:2015.3.14)

2015年3月8日日曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(7)  政治の機能不全1

前回の記事では、マスコミが機能不全に陥っている要因として、政治家がマスコミに圧力をかけたり懐柔するようになり、国民の知る権利を侵害し始めているということを書きました。

政治家がマスコミに対して露骨に圧力をかけたり懐柔するようになったということは、政治家が民主主義の基本原理を無視するようになったということであり、マスコミが機能不全になっているのと同時に、日本の政治も機能不全に陥っているということです。

私は、この10年くらいで、日本の政治家に対する印象が大きく変わりました。今の日本の政治家を見ていると、日本を背負っている人達であるという感じがしないのです。また、未来の日本をどう作っていくかというビジョンを持っているようにも感じられません。どことなく軽い乗りで仕事をしている人達であると思ってしまうのです。真面目に政治家としての仕事に取り組んでいる方もいるはずなのですが、軽いと感じてしまうのはなぜなのでしょうか。

1つは、今の日本の政治家は、戦争を経験していないということがあると思います。彼らは、1945815日の敗戦と、その後の占領を経験していません。敗戦とその後の占領について、歴史上の出来事としての知識は持っているのでしょうが、敗戦と占領による混乱や理不尽をあまり体験せずに生きてきた世代の人達であるように思います。

一方で、彼らの祖父母や父母は、戦争で親族を亡くし、自分自身が食糧難や貧困を体験し、国土を外国に占領されるという屈辱を味わい、日本が二度とこのような目に遭わないようにするためにどうすればいいかを本心から考え、今の日本の社会システムを作ってきたのだと思います。

今の日本の政治家は、自らはあまり苦労せず、先行世代の政治家が作った物をそのまま引き継いだだけであるということです。そう考えると、政治家としての理念や覚悟がないように見えるのも仕方がないのかもしれません。

また、今の政治家が軽く感じられるのは、彼らが今のことしか考えていないからということもあると思います。国会中継を聞いていると、とりあえず今を乗り切れれば、50年先のことはどうなってもいいのだろうかと思うことがあります。過去については、先行世代が積み上げてきた社会システムを引き継ぐだけでは飽き足らず、それらを否定し、壊していこうとする意志すら感じられます。過去を否定し、今のことだけにしか目を向けないのであれば、当然未来への深い洞察も生まれてきません。彼らは、過去と未来の双方を切り離した思考を持つ人達であるということです。


≪参考動画≫

「後藤田正晴ロングインタビュー」
https://www.youtube.com/watch?v=-w9AyFAyjMw>(アクセス日:2015/3/7

2015年2月8日日曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(6)  マスコミの機能不全2

前回の記事では、マスコミが機能不全に陥っており、問題意識の連鎖反応が起きなくなっているということを書きました。

では、マスコミが機能不全に陥っているのはなぜなのでしょうか。

ここ数年のことですが、政治家がマスコミに圧力をかけたり、懐柔したりして、大きな影響力を行使するようになったことが1つの要因だと思います。国営放送の役員が急に政府寄りの発言をする人ばかりになったり、政治家が大手マスコミの経営陣と何度も会食しているということがインターネット上でニュースになり、国会審議でも取り上げられました。これは、政治家が国民に知らせるべき情報をコントロールして、国民の知る権利を侵害し始めているということです。それも隠れてやるのではなく、見せつけるようにやっている節もあり、それ自体が暗黙の圧力になっています。


また、201412月には、特定秘密保護法という法律が施行されました。この法律は、国の安全保障に関する情報のうち、秘密にしておくことが必要である情報を特定秘密として指定し、その漏えいの防止を図り、国民の安全に資することが目的とされています。条文を読むと、基本的にはスパイを防止するための法律のように思えます。


しかし、過去の歴史をたどると、こういった情報統制のための法律が、国民の権利を制限するために恣意的に運用されたことを忘れてはなりません。この法律のやっかいなところは、特定秘密に指定できる情報の基準が曖昧であることと、特定秘密に指定された情報を探ろうとすると、どこかの段階で罰則が適用されるかもしれないという恐怖を取材者に感じさせる部分だと思います。


これらの圧力は、マスコミや表現の仕事をしている人達には無視し難いものだと思います。大手マスコミの社員である記者は、社内で波風が立たないよう、取材対象や取材内容を選び、記事の書き方を控えめにするという選択をする人も出てくるでしょう。このようにして、マスコミの中で自主規制が行われるようになり、国民は正確な情報を知ることが難しくなっていきます。


今、政治家はマスコミをコントロールしようと意図し、それが可能であるということを実証してしまいました。そしてマスコミをコントロールすることの旨みを覚えてしまったわけです。このような情報統制の網は、今後様々な場面で広がっていくことでしょう。政治家が堂々と国民の知る権利や表現の自由を規制するということを、私達はこのまま黙って見ているしかないのでしょうか。


≪参考URL

朝日新聞デジタル 特定秘密保護法の全文
http://www.asahi.com/articles/TKY201312070353.html>(アクセス日:2015/2/7

2015年2月1日日曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(5)  マスコミの機能不全1

前回の記事では、問題意識の連鎖反応を拡大する鍵を握っているのは、マスコミの報道の仕方であると書きました。

では、私が参加した3つのデモについて、マスコミの報道の仕方はどうだったのでしょうか。私の当時の印象では、デモについての報道は、非常にさらりとした、通り一遍の報道であったと思います。このようなテレビの短時間の報道、あるいは新聞の小さな見出しでは、デモの熱は広がらず、問題意識の連鎖反応が広がっていくはずもないなと思ったのを覚えています。

この記事を読んで下さっている皆さんも感じている方が多いと思いますが、今のマスコミは、完全に機能不全に陥ってしまっていると思います。権力を批判的に見る目を失ってしまっているのです。口では公正中立な報道と言いながら、政界や財界の顔色をうかがい、国民の生活を守るというスタンスの報道を意図的に控えるようになってきていると思います。もちろん、各テレビ局、新聞社によって、報道内容や報道姿勢に違いがあるわけですが、大手テレビ局、新聞社ほどその傾向があるように感じます。

例えば、今、沖縄では、普天間の在日米軍基地を辺野古に移転するための工事を進めています。沖縄では、昨年12月に県知事選挙が行われ、基地の移転に反対する翁長知事が当選しました。しかし、日本政府は沖縄県民の民意を無視し、半ば強制的に工事を進めています。そういう国民の生活に直接関わる政治問題や社会問題に対し、沖縄の地方新聞は、かなりストレートに日本政府を批判する記事を書いています。インターネットでそれらの新聞の社説を読むだけでも、ジャーナリズム精神というものを感じるのです。それに対して、大手のテレビ局では、沖縄の基地問題はほとんど話題にもなりませんし、政府批判自体を自粛し、手控えているように思えます。


大手のマスコミが国民の生活に関する問題、社会問題を大きく取り上げなくなっているというのであれば、どれだけデモのようなソーシャルアクションをしても、それが国民に情報として伝わらず、問題意識の連鎖反応はなかなか拡大していきません。そして時間の経過とともに、日本に社会問題が存在するという認識自体が国民の意識から消えていってしまいます。

2015年1月25日日曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(4)  問題意識の連鎖反応2

前回の記事では、私が参加した一連のデモは、問題意識の連鎖反応を起こすことができなかったということを書きました。ただ、問題意識の連鎖反応を起こすと言っても、それほど簡単なことではありません。私は、デモはそれ自体が問題意識の連鎖反応を起こす効果があると考えていますが、デモが開催された時、開催されたという情報が多くの人に伝わっていかないと、問題意識の連鎖反応を拡大していくことができません。

私が参加した3つのデモでは、デモについての情報伝達を、デモの主催者や参加者の口コミとインターネットに頼っていたように思います。しかし、それだけでは、社会問題が国民の間に問題意識として広がっていく時の影響力が圧倒的に足りないような気がしました。その時々の社会問題について、あるいはデモの開催情報について、興味のある人だけが情報を拾い上げてインターネット上で拡散させるという状態であったように思います。そのため、インターネットをあまり使わない層の人達に、デモが開催される意味があまり伝わっていかないのではないか、というもどかしさを感じました。

では、問題意識の連鎖反応を拡大していくためには何が必要なのでしょうか。年越し派遣村でもそうでしたが、デモが開催されたという情報や、デモが開催されたことの社会的意味を国民に伝達するために大きな役割を果たすのは、やはりマスコミなのではないかと思います。主として、テレビや新聞です。


テレビや新聞は、社会問題についてあまり関心がない人達、情報に対して受け身の人達にも、映像や文字(特に新聞の見出し)で確実に情報を伝えることができるという長所を持っています。テレビや新聞が、社会問題の存在を多くの国民が理解できるようなわかりやすい形で提示できれば、その社会問題についてのデモ開催に、国民全体にとっての意味が生まれます。そして同時に、デモ開催の必然性も生まれてくるのです。


デモ開催に多くの国民が必然性を感じることができれば、デモへの参加者がどんどん増えていくという問題意識の連鎖反応が生まれてきます。問題意識の連鎖反応を拡大する鍵を握っているのは、マスコミの報道の仕方であると思います。

2014年12月15日月曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(3)  問題意識の連鎖反応1

今回も前回の続きです。

デモを実施する場所という視点で考えた場合、私が参加した一連のデモは、開催場所がいつも同じような場所だったため、1つの開催パターンとして警察当局に認識され、集団を縦列にして分散させるという方法でうまくコントロールされていたように思いました。要するに、デモというソーシャルアクションの方法は、構造が単純であり、単純であるがゆえに誰でも参加しやすく、参加者にとっては手軽なのですが、警察当局や政権側からすると非常に御しやすいということだと思います。

ただ、そうは言っても、これらのデモはテレビのニュースで放映され、新聞でも記事になり、インターネットの動画でも配信され、政治問題、社会問題を社会全体に訴えることはできていたと思います。このデモの盛り上がりが時間的に継続して徐々に熱を帯び、問題意識が国民の間で連鎖反応を引き起こすことができれば、デモは十分に効果を発揮したということになっていたでしょう。


また、デモをすることによって時の政権の政治的決定を少しでも覆すことができれば、デモに参加した多くの人が、デモに行った甲斐があったと思うでしょうし、次のデモに参加しようというインセンティブも増大するはずです。


しかし、ここ最近の政治状況で、デモが問題として掲げていた政治的決定が全く変わらなかったという結果が出てしまいました。デモに参加した人達は、デモという方法の限界を感じ、もうデモに行っても仕方がないと思っている人も多いのではないかという気がしています。


デモをソーシャルアクションとして成功させるには、デモの盛り上がりを時間的に継続し、国民の間で問題意識の連鎖反応が起きるようにしていく戦術が必要だったのだと思います。政治問題や社会問題について、多くの人が注目し、これは問題であると強く意識する期間というのは限られています。ある時期を超えると、多くの人はその熱が冷めてしまうものです。厳しい言い方になりますが、私が参加した一連のデモは、問題意識の連鎖反応を起こすことができなかったということだと思います。

2014年12月11日木曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(2)  デモの形態

前回に引き続き、なぜデモが影響力を持てないのかについて書かせていただきます。

私が参加したデモの実施方法について、僭越ながら参加者としての批評を書いてみたいと思います。

まず、デモが行われた日時についてですが、実施される曜日は、金曜日であることが多く、時間は夕方17:00くらいから始まり、21:00くらいに終了していました。平日に仕事を持っている人が仕事を終えて参加するためにも、この日時の選択は有効であると思います。参加者をできる限り多く集めないといけないデモで、この日時の選択を間違えることは致命的です。

場所については、私が参加した原発再稼働反対デモ、特定秘密保護法反対デモ、集団的自衛権行使の閣議決定反対デモの3つは、国会議事堂前や首相官邸前で行われていました。私は、この場所の選択が果たして妥当なのかということをいつも感じました。


国会議事堂前や首相官邸前の周囲は大通りが多く、いつ行っても、デモ参加者が大通り沿いの狭い歩道に沿って4列くらいの縦列に並ばされ、場合によっては2キロメートル以上の長い列になっていました。多くの警察官がデモの長い列を監視し、誘導していて、歩道の脇には大型の護送車が何台も駐車されていました。この護送車は、デモ参加者への威嚇の意味合いがあるように見えました。

デモが行われた場所は公道であり、警察が車や歩行者を通らせるためにそのようにしているということはよくわかります。ただ、それはあくまで建前であり、デモ参加者を細く長い縦列に並ばせる本当の目的は、参加者を物理的になるべく分散して配置し、参加者が集団としての一体感を感じられないようにするためなのではないかと感じました。警察は巧妙にデモをコントロールしているのだと思います。そして主催者と参加者は、その巧妙さにうまく乗せられてしまっていると思いました。


この縦列形態に並ぶということは、デモ参加者の心理に大きな影響を与えているように思います。縦列に並んでいるため、デモに参加した人同士が顔を合わせられず、自然発生的なコミュニケーションがなかなか生まれないのです。


これがもし、広場のような場所に大勢の人が集まったのであれば、デモ参加者同士が顔を合わせることができ、自然に相互のコミュニケーションが生まれます。コミュニケーションがカタルシスを生じさせ、参加者同士が「自分は1人ではない」という一体感を感じるのです。この一体感を感じることができると、多くの人は、デモに参加してよかったと思えるのではないかと思います。そして、その一体感が次のデモにも参加しようという気持ちを起こさせるのです。私の場合、年越し派遣村では、参加者が一緒に炊き出しや物資運搬を手伝うことで一体感を感じることができました。


一方で、この一体感が過度に高揚した時、暴動のような状態に発展する可能性もあります。警察は交通整理と同時に、デモのエネルギーを削ぐために大量に動員され、デモ参加者を巧みに分断しているわけです。私は、一連のデモに参加するたびに、「分断して統治せよ。」というどこかで聞いた言葉を思い出してしまうようになり、このデモのやり方にどこか限界を感じるようになっていきました。

もちろん、これらのデモは、数千人規模の人が集まったことにより、一定の政治的影響力を行使できたことは間違いありません。ただ、デモを実施する場所という視点で考える時、私が参加した3つのデモは、警察が用意した縦列形態のデモという形式の中にお行儀よく納まってしまっていたという印象が拭えませんでした。この形式によって、デモ参加者の中に、デモという方法の限界とその後の発展性のなさを感じてしまった人が結構いたのではないかとも思いました。  

2014年11月23日日曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(1)  デモの限界

今回からは、年越し派遣村の後、2011年の福島原発事故が起こって以降、都市部で行われるようになった政治問題や社会問題に関するデモについて、もう少し書いてみたいと思います。

私は、この連載の始まりで皆さんに、ソーシャルアクションの方法として、デモへの参加を勧める記事を書き、デモは手軽なソーシャルアクションであるということも書かせていただきました。ところが今、これまでに開催されたデモが何の役にも立たなかったのではないかと思うような政治状況が生まれてきています。そのため、なぜデモが影響力を持てないのかという問いについて、少し考えてみたいと思います。考える材料は、私が実際に参加したデモです。

私は、年越し派遣村の後、20127月の大飯原発再稼働反対デモ、201312月の特定秘密保護法案反対デモ、20146月の集団的自衛権行使の閣議決定反対デモと3つのデモに参加したことがあります。2012年の大飯原発再稼働反対デモについては、毎週金曜日に4週続けて参加しましたが、デモという方法の限界も感じました。

これらのデモに参加しての正直な印象ですが、毎回、デモはある程度盛り上がり、政治問題や社会問題の存在を浮かびあがらせることができていたと思います、ただ、デモの盛り上がりがいかんせん一時的であり、その後の政府の政策決定過程にほとんど影響力を持てていないように思います。例えば、原子力発電所の再稼働はほぼ決定というような状態ですし、特定秘密保護法も、12月には法律として施行される予定です。

デモというソーシャルアクションの形態は、決して万能ではありません。その政治的影響力は、あくまで限定的です。デモという方法の長所は、政治問題や社会問題に関係する場所に多くの人が集まることで、政治問題や社会問題の存在を、政治家を含めた多くの国民に対して大々的に告知できるという部分です。そのため、集まる人の数が少なければ、全くと言っていいほど効果はありません。人が数千人の単位で集まることで、初めてそれなりの影響力を持ちます。

また、デモが行われたということがマスコミ報道やインターネット等で情報発信され、多くの国民の目や耳に入らなければ、問題意識の連鎖反応が起きず、デモがその時だけの打ち上げ花火で終わってしまいます。デモが行われているという情報は、あらゆる情報媒体を使って社会全体に発信されなければ、デモの効果は著しく減少します。


次回からは、上記のことを踏まえ、私が参加したデモについて、もう少し詳しく考えてみたいと思います。   

2014年11月6日木曜日

ソーシャルアクションの方法  年越し派遣村モデルを超えて

私はこれまでの記事で、年越し派遣村の開設状況を分析し、その成功の要素として、「1.マスコミを味方につける」、「2.ソーシャルアクションの場所の選定」、「3.政治家を含めて多くの人と協働する」、「4.主催者が野生を持ち続けている」という4つを取り出してみました。この4つの要素について考えていくと、年越し派遣村がいかに洗練されたソーシャルアクションだったかということがわかります。そして、湯浅誠氏という特別なキャラクターの存在により、ここまでの影響力を持ったと言えるでしょう。

私達にとって年越し派遣村の意義は、ソーシャルアクションとして大きな成功モデルを提示してくれたことにあると思います。しかし、これだけの成功モデルがあるにも関わらず、その後、日本でソーシャルアクションの動きが活発になることはありませんでした。そして、年越し派遣村も、湯浅氏の内閣参与就任後は影響力を失ってしまいました。

さて、ここで前回の記事で書いた「野生」についてもう少し書かせていただきます。私は、湯浅氏が年越し派遣村村長をされていた当時、眼の奥にまさに「野生」が宿っている人だと感じ、一般国民の立場から政治に意見をしていけるカリスマが現われたと思いました。ぜひ湯浅氏に、今後も年越し派遣村のようなソーシャルアクションを起こして活動して欲しいと心から思いました。そして、湯浅氏のおかげで、私自身がソーシャルアクションの可能性を発見することができました。

ただ、湯浅氏の大ファンとして、大変僭越ながら申し上げたいのですが、今の湯浅氏は、年越し派遣村村長をされていた当時の「野生」が消えてしまったのではないかという感じがどうしてもしてしまうのです。ある時、私が敬愛する平川克美氏の著書の中に、湯浅氏とは全く関係ない文章でしたが、次のような記述を見つけました。


「なぜなら、いちばん大切なものである野生と富はトレードオフの関係にあるからです。このことをわたしたちは、本当は知っているはずなのです。通俗的なたとえをするならば、富を手にしたボクサーは、もう以前のように野性をむき出しにして闘うことはできなくなる。野性をむき出しにする必然性が失われているからです。」(1


私達は、社会的地位を確立し、ある一定の富を手に入れてしまうと、「野生」を失ってしまう。生涯を通じて「野性」を持ち続けることは難しいのだなと本当に複雑な思いがしました。

こうして考えていくと、これからのソーシャルアクションは、必ずしも年越し派遣村のモデルを真似する必要はないのかもしれません。カリスマという存在に頼っていてはいけないのです。

もともと、社会福祉は、当事者、専門職、一般市民が地域で地道な実践を続け、その実践を行政に訴えていくという、ソーシャルアクション的な活動があったからこそ、ここまで発展してきました。過去の歴史をたどれば、私達の先達が、私達に託そうとしたソーシャルアクション的活動を色々と見つけることができるはずです。私達は、まずそれらの活動を知るところからスタートする必要があると思います。


≪引用文献≫
1)平川克美『小商いのすすめ』ミシマ社、2012年、p.104105

2014年11月1日土曜日

ソーシャルアクションの方法  年越し派遣村に学ぶ(4)  野生について

年越し派遣村を成功させた重要な要素の4つ目ですが、主催者達が、年齢を重ねながらも「野性」を持ち続けた人達だったということがあると思います。
日比谷公園4
 


「野生?何のことですか?」と言われそうですね。「野生」という言葉は、あまり一般的には使われないので、私なりに「野性」を定義してみます。「自分を飾らず自然体で、世俗的な価値観に従属せず、自分が所属する共同体のために、自分の全てのエネルギーを注いでいこうとする強い気持ち」と言えるかなと思います。自分が有名になりたいとか、出世したいというような「野心」とはまた違うものです。年越し派遣村の主催者達は、心の内に、この「野性」を持っていたように思います。そして、この「野生」は、色々な人の協力を得てソーシャルアクションを起こす際、主催者側にどうしても必要なことなのではないかと思うのです。


私が派遣村主催者達の「野生」を感じたのは、当時の湯浅誠氏を初め、主催者達の一連の言動や、立ち振る舞いからでした。湯浅氏のことは、テレビで見た他に、年越し派遣村の中で何度か見かけました。日比谷公園の狭い道ですれ違うこともありました。湯浅氏が多くの人の前で演説をしたり、携帯電話で厚生労働省の関係者と必死で交渉しているのを見るたびに、その眼の奥に、何かが宿っているというような印象を受けました。そして、それが多くの人を惹きつけているのではないかと思いました。

湯浅氏の言葉で最も印象的だったのが、「私は怒っています。」という台詞です。この台詞は、湯浅氏がテレビで1人演説する時、最初によく使っていました。湯浅氏はこの時、本当に怒っていたと思います。貧困や派遣切りという社会の理不尽に対して怒っていました。そして、私達に対しても、もっと怒るべきであると言っているように思えました。

湯浅氏の発する怒りのエネルギーは、多くの人達に影響を与えたと思います。私も湯浅氏の怒りのエネルギーに大きく影響されました。影響されたと言うより、魅了されたと言っていいかもしれません。その怒りは、湯浅氏の持っている「野生」から出ている純粋な怒りであり、利己的な動機から出ているものとは思えませんでした。それは人を惹きつけ、鼓舞し、説得するような何かでした。私はそれまで、このような物言いをする人に出会ったことがありませんでした。「自分のためではなく、他の誰かのために、あなたも怒って下さい。」と湯浅氏が私達に言っているような気がしました。


私は当時、ボランティアもあまりやったことがなく、デモにも参加したことはありませんでしたが、湯浅氏の演説や対話を何回か聞くうちに、「これは他人事ではない。私も派遣村に行かなければならない。」という衝動を自分の中に感じるようになったのです。


≪参考文献≫
平川克美『小商いのすすめ』ミシマ社、2012
 

2014年10月21日火曜日

ソーシャルアクションの方法  年越し派遣村に学ぶ(3)  協働する

年越し派遣村を成功させた重要な要素の3つ目ですが、多くの人が協働していたということがあると思います。

「年越し派遣村実行委員会」を組織し、協働していたのは、湯浅誠氏が事務局長を務めていた「NPO法人自立生活サポートセンター・もやい」、宇都宮健児氏をはじめとした法律家や、「全国コミュニティ・ユニオン連合会」といった労働組合の人達です。大きな仕事を協働して成功させるには、多少の主義主張の違いはあっても、それぞれの団体が感じている問題意識を重ね合わせて共通の目標を見出し、その目標に沿って協力していくことが求められます。派遣村は、その目標が主催者の間で常に共有されていたという印象を受けました。
日比谷公園3

派遣村の影響力の大きさに反応したのか、当時野党だった民主党の管直人氏、日本共産党の志位和夫氏、社会民主党の福島瑞穂氏、新党大地の鈴木宗男氏等の政治家が視察に駆けつけて応援スピーチをし、テレビでも中継されました。与党だった自由民主党からも政治家が視察に向かい、どの政党も貧困や派遣切りという社会問題の存在を認め、何らかの対策をとることを約束しました。政治家を派遣村に絡ませるということは、派遣村実行委員会が最初から計画していたことであったろうと推察されます。

 私は、ボランティアとして、避難所利用者のテントをたたむ手伝いをした後、日本全国から届いた炊き出し用の米や野菜を運搬するのを手伝いましたが、○○県共産党というラベルが貼ってある物資が多く、日本共産党が組織的に派遣村に協力してくれているということがよくわかりました。

当時の私は、派遣村の中に政治色が強く出過ぎていると思ったりもしましたが、今では、このくらい数多くの人と団体が協働し、政治家を動かすくらいでなければ、ソーシャルアクションとして大きな影響力を行使することはできないのではないかと思っています。

年越し派遣村は、12/31から1/5まで6日間継続されました。1/5は、午後にデモ行進が行われ、労働組合の旗を掲げた各団体、ボランティア、派遣村の利用者が長い行列を作って霞が関の官庁街を練り歩きました。私はこの時、デモ行進というものに初めて参加したのですが、長年ホームレス生活を続けてきたと思しき男性、白人の外国人男性、翌日が仕事始めのサラリーマンの中年男性、大学生の若い女性、子育てを終えた熟年女性まで、多種多様な人達が集まっていて、活気にあふれていました。集まった人達が多様であったにもかかわらず、その雰囲気はとても平和的であり、誰かが争っている場面を見ることはありませんでした。


≪参考URL
Wikipedia「年越し派遣村」<http://ja.wikipedia.org/wiki/>(アクセス日:2014/10/19
 

2014年10月17日金曜日

ソーシャルアクションの方法  年越し派遣村に学ぶ(2)  場所の選定

年越し派遣村を成功させた重要な要素の2つ目ですが、場所の選定が的確だったということがあると思います。

年越し派遣村が開設されたのは、東京都千代田区の日比谷公園です。地図を見れば一目でわかるのですが、日比谷公園のある場所の周囲には、北に皇居、東に東京駅、西に国会議事堂と霞が関の官庁街があります。東京のど真ん中にある、緑の多い大きな公園です。そして、日比谷公園の正面入り口は、厚生労働省の建物とほぼ対面しています。日比谷公園の正面入り口から出て、前の道路を渡れば、すぐに厚生労働省の玄関があるのです。
日比谷公園2

私は、年越し派遣村をテレビや特設ホームページで知った時、「この活動は、ホームレスの人達や派遣切りにあった人達の純粋な避難場所であり、住居を失った人達が、公園でテント生活と炊き出しをしながら年末年始を過ごすだけなのかな。」というくらいの認識でいました。私も200915日の1日だけですが、少しでもお手伝いしたいと思い立ち、ボランティアとして参加しました。前日に、道路地図で日比谷公園の場所を確認したのですが、日比谷公園の地図上の位置を自分の目で確認した時、「年越し派遣村を主催している人達は、厚生労働省と正面切って戦をするつもりなのか。」と驚き、年越し派遣村に対する認識が大きく変わったことを覚えています。年越し派遣村は、住居を失った人達の避難所でありながら、そのエネルギーのベクトルは、対面している厚生労働省に向かっていました。


湯浅氏を初めとした年越し派遣村の主催者は、厚生労働省との直接対決のために日比谷公園という場所を選んだのだと思います。この場所の選び方は、まさに戦における「布陣」と言ってもいいのではないでしょうか。厚生労働省との交渉という戦を有利に進めるため、陣地の選定をしたのです。


湯浅氏達は、住居を失った人達が日比谷公園でテント生活をしたり炊き出しができるように手配しつつ、その一方で、厚生労働省や政治家と色々な交渉を進めていたようです。私も、日比谷公園内のテントで寝起きしていた湯浅氏が、寝癖のついた髪を直す暇もなく、厚生労働省の関係者らしき人と携帯電話で真剣に話している姿を何回も見かけました。


湯浅氏達の交渉の結果、厚生労働省は派遣村の期間中、その建物の一部の場所を解放し、テントを張れるよう手配しました。また、厚生労働省と東京都は、派遣村終了後も住居が見つからない人達のために、数週間生活ができるような臨時の住居と食事を準備することを決定したのです。


≪参考URL
Wikipedia「年越し派遣村」<http://ja.wikipedia.org/wiki/>(アクセス日:2014/10/12

2014年10月5日日曜日

ソーシャルアクションの方法  年越し派遣村に学ぶ(1)  マスコミを味方に

今回からは、年越し派遣村の開設状況を分析し、ソーシャルアクションを成功させるための具体的要素を取り出してみたいと思います。
日比谷公園1

年越し派遣村が成功した重要な要素の1つですが、マスコミを味方につけていたということがあると思います。

マスコミを味方につけることは、ソーシャルアクションを実行する上でものすごく大切なことです。前回も書きましたが、湯浅氏をはじめとした年越し派遣村に関わった人達は、日本の多くの人達に、「今、日本に貧困や派遣切りという大きな社会問題が存在する」ということと、「貧困は自己責任ではなく、社会の問題である」ということを伝えることに成功していました。それができたのは、湯浅氏達が広報戦略の重要性を認識し、マスコミを味方につけていたからです。

湯浅氏達は、テレビの討論番組で、貧困自己責任論を主張する財界の著名人を片端から論破していました。貧困や派遣切りという社会問題について、テレビで公開討論をするということも、マスコミの協力なしではできません。

現代は、インターネットで誰もが個人として情報発信できる時代ですが、ある情報を日本全国の人に知ってもらいたい時、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌というマスコミの影響力は、まだまだ絶大だと思います。特に年代が上にいくにつれて、インターネットを使わない人が増えていきます。そういった人達が頼りにしている情報媒体は、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌なのです。社会問題を多くの人に知ってもらうということを考えると、最初にマスコミに知ってもらい、味方になってもらうことは本当に大切なことです。

湯浅氏のテレビでの公開討論を見て、私は、庶民にとってのカリスマが日本にようやく現われてくれたかという思いがしました。湯浅氏は、資本家や企業の側でなく、一般国民の側に立った意見を常に主張してくれていました。多くの人が、この人なら閉塞感のある今の日本社会を変えてくれそうだと感じたのではないかと思います。マスコミを通じて、湯浅氏は、徐々に世直しのヒーローとして認知されるようになっていきました。


≪参考文献≫
湯浅誠『反貧困』岩波新書、2008