2014年10月17日金曜日

ソーシャルアクションの方法  年越し派遣村に学ぶ(2)  場所の選定

年越し派遣村を成功させた重要な要素の2つ目ですが、場所の選定が的確だったということがあると思います。

年越し派遣村が開設されたのは、東京都千代田区の日比谷公園です。地図を見れば一目でわかるのですが、日比谷公園のある場所の周囲には、北に皇居、東に東京駅、西に国会議事堂と霞が関の官庁街があります。東京のど真ん中にある、緑の多い大きな公園です。そして、日比谷公園の正面入り口は、厚生労働省の建物とほぼ対面しています。日比谷公園の正面入り口から出て、前の道路を渡れば、すぐに厚生労働省の玄関があるのです。
日比谷公園2

私は、年越し派遣村をテレビや特設ホームページで知った時、「この活動は、ホームレスの人達や派遣切りにあった人達の純粋な避難場所であり、住居を失った人達が、公園でテント生活と炊き出しをしながら年末年始を過ごすだけなのかな。」というくらいの認識でいました。私も200915日の1日だけですが、少しでもお手伝いしたいと思い立ち、ボランティアとして参加しました。前日に、道路地図で日比谷公園の場所を確認したのですが、日比谷公園の地図上の位置を自分の目で確認した時、「年越し派遣村を主催している人達は、厚生労働省と正面切って戦をするつもりなのか。」と驚き、年越し派遣村に対する認識が大きく変わったことを覚えています。年越し派遣村は、住居を失った人達の避難所でありながら、そのエネルギーのベクトルは、対面している厚生労働省に向かっていました。


湯浅氏を初めとした年越し派遣村の主催者は、厚生労働省との直接対決のために日比谷公園という場所を選んだのだと思います。この場所の選び方は、まさに戦における「布陣」と言ってもいいのではないでしょうか。厚生労働省との交渉という戦を有利に進めるため、陣地の選定をしたのです。


湯浅氏達は、住居を失った人達が日比谷公園でテント生活をしたり炊き出しができるように手配しつつ、その一方で、厚生労働省や政治家と色々な交渉を進めていたようです。私も、日比谷公園内のテントで寝起きしていた湯浅氏が、寝癖のついた髪を直す暇もなく、厚生労働省の関係者らしき人と携帯電話で真剣に話している姿を何回も見かけました。


湯浅氏達の交渉の結果、厚生労働省は派遣村の期間中、その建物の一部の場所を解放し、テントを張れるよう手配しました。また、厚生労働省と東京都は、派遣村終了後も住居が見つからない人達のために、数週間生活ができるような臨時の住居と食事を準備することを決定したのです。


≪参考URL
Wikipedia「年越し派遣村」<http://ja.wikipedia.org/wiki/>(アクセス日:2014/10/12

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