2014年12月15日月曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(3)  問題意識の連鎖反応1

今回も前回の続きです。

デモを実施する場所という視点で考えた場合、私が参加した一連のデモは、開催場所がいつも同じような場所だったため、1つの開催パターンとして警察当局に認識され、集団を縦列にして分散させるという方法でうまくコントロールされていたように思いました。要するに、デモというソーシャルアクションの方法は、構造が単純であり、単純であるがゆえに誰でも参加しやすく、参加者にとっては手軽なのですが、警察当局や政権側からすると非常に御しやすいということだと思います。

ただ、そうは言っても、これらのデモはテレビのニュースで放映され、新聞でも記事になり、インターネットの動画でも配信され、政治問題、社会問題を社会全体に訴えることはできていたと思います。このデモの盛り上がりが時間的に継続して徐々に熱を帯び、問題意識が国民の間で連鎖反応を引き起こすことができれば、デモは十分に効果を発揮したということになっていたでしょう。


また、デモをすることによって時の政権の政治的決定を少しでも覆すことができれば、デモに参加した多くの人が、デモに行った甲斐があったと思うでしょうし、次のデモに参加しようというインセンティブも増大するはずです。


しかし、ここ最近の政治状況で、デモが問題として掲げていた政治的決定が全く変わらなかったという結果が出てしまいました。デモに参加した人達は、デモという方法の限界を感じ、もうデモに行っても仕方がないと思っている人も多いのではないかという気がしています。


デモをソーシャルアクションとして成功させるには、デモの盛り上がりを時間的に継続し、国民の間で問題意識の連鎖反応が起きるようにしていく戦術が必要だったのだと思います。政治問題や社会問題について、多くの人が注目し、これは問題であると強く意識する期間というのは限られています。ある時期を超えると、多くの人はその熱が冷めてしまうものです。厳しい言い方になりますが、私が参加した一連のデモは、問題意識の連鎖反応を起こすことができなかったということだと思います。

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