2014年11月6日木曜日

ソーシャルアクションの方法  年越し派遣村モデルを超えて

私はこれまでの記事で、年越し派遣村の開設状況を分析し、その成功の要素として、「1.マスコミを味方につける」、「2.ソーシャルアクションの場所の選定」、「3.政治家を含めて多くの人と協働する」、「4.主催者が野生を持ち続けている」という4つを取り出してみました。この4つの要素について考えていくと、年越し派遣村がいかに洗練されたソーシャルアクションだったかということがわかります。そして、湯浅誠氏という特別なキャラクターの存在により、ここまでの影響力を持ったと言えるでしょう。

私達にとって年越し派遣村の意義は、ソーシャルアクションとして大きな成功モデルを提示してくれたことにあると思います。しかし、これだけの成功モデルがあるにも関わらず、その後、日本でソーシャルアクションの動きが活発になることはありませんでした。そして、年越し派遣村も、湯浅氏の内閣参与就任後は影響力を失ってしまいました。

さて、ここで前回の記事で書いた「野生」についてもう少し書かせていただきます。私は、湯浅氏が年越し派遣村村長をされていた当時、眼の奥にまさに「野生」が宿っている人だと感じ、一般国民の立場から政治に意見をしていけるカリスマが現われたと思いました。ぜひ湯浅氏に、今後も年越し派遣村のようなソーシャルアクションを起こして活動して欲しいと心から思いました。そして、湯浅氏のおかげで、私自身がソーシャルアクションの可能性を発見することができました。

ただ、湯浅氏の大ファンとして、大変僭越ながら申し上げたいのですが、今の湯浅氏は、年越し派遣村村長をされていた当時の「野生」が消えてしまったのではないかという感じがどうしてもしてしまうのです。ある時、私が敬愛する平川克美氏の著書の中に、湯浅氏とは全く関係ない文章でしたが、次のような記述を見つけました。


「なぜなら、いちばん大切なものである野生と富はトレードオフの関係にあるからです。このことをわたしたちは、本当は知っているはずなのです。通俗的なたとえをするならば、富を手にしたボクサーは、もう以前のように野性をむき出しにして闘うことはできなくなる。野性をむき出しにする必然性が失われているからです。」(1


私達は、社会的地位を確立し、ある一定の富を手に入れてしまうと、「野生」を失ってしまう。生涯を通じて「野性」を持ち続けることは難しいのだなと本当に複雑な思いがしました。

こうして考えていくと、これからのソーシャルアクションは、必ずしも年越し派遣村のモデルを真似する必要はないのかもしれません。カリスマという存在に頼っていてはいけないのです。

もともと、社会福祉は、当事者、専門職、一般市民が地域で地道な実践を続け、その実践を行政に訴えていくという、ソーシャルアクション的な活動があったからこそ、ここまで発展してきました。過去の歴史をたどれば、私達の先達が、私達に託そうとしたソーシャルアクション的活動を色々と見つけることができるはずです。私達は、まずそれらの活動を知るところからスタートする必要があると思います。


≪引用文献≫
1)平川克美『小商いのすすめ』ミシマ社、2012年、p.104105

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